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┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓ ┃日┃┃本┃┃史┃┃奇┃┃説┃┃珍┃┃説┃┃歴┃┃史┃┃の┃┃真┃┃相┃ ┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛ 第三話 *=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=* こんにちは! 倫太郎です。 頑張って、発行していきますので宜しくお願いします m(._.*)mペコッ *=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=* =PR============================ 人生をかえられたら、と思っているあなた でも、仕方ないんだと自分に言い訳してるあなた 人生をかえられる手段は、そこにあるというのに。 ----------------------------- → http://glk.tsukaeru.jp/ppp/hid/new.htm ----------------------------- =PR=========================== 第三話 ☆金印はなぜ、志賀島に埋蔵されたか ◇金印伝来のいわれ この奴国王の金印を仔細に見ると、その特徴として、印材が金であること、 上部に蛇をかたどった「チュウ」がついていることなのですが、これに ついては、漢の印制では、諸侯王に与える印は黄金で、「チュウ」は 列候は亀、将軍は虎、蛮夷は蛇・ラクダの類でした。 そして、高句麗などの王印は、みな銅質だったのです。 ですから、漢委奴国王の印だけが、「チュウ」が蛇であるにもかかわらず その質が黄金であるということは、特例とみなすことができます。 当時、後漢は、倭をもって東方の大国とみなし、他の蛮委と同等視しな かったため、倭の奴国王の印材を、諸侯王なみの黄金とし、「チュウ」だけを 蛇にして、諸侯王と区別したのです。 つまり、北朝鮮の高句麗王よりも、格を高く評価していたことがわかります。 しかし、後漢の光武帝が奴国王に、金印の下付を行なったのは、北朝鮮に あった漢の植民地である楽浪郡の役人達によって検討され、調査された結果に 基づいてであり、その調査の対象となったのは、前漢以来の貢物献上の実績 でした。 日本の弥生式土器文化の中期に、奴国のある北九州沿岸地帯で、これまでに 見たことのない立派な品物が古墳に副葬されていたことが、明らかになりま した。銅剣、銅鉾、白銅鏡などが、副葬されており、このうち 鏡は、中国の 漢王朝時代の製作だとされています。 これにより、すでに前漢時代に奴国の首長が、北朝鮮の楽浪郡に出かけ 前漢の皇帝に貢物を献上したお返しとして、そのような漢製の鏡類を与え られた史実を立証するものと考えられます。 ですから、後漢の光武帝も、この奴国の前漢時代からの実績を認め、奴国の 首長に王の称号を認可し、金印を下腸したのであろう と、推察されるのです。 おもしろい論法ですね。 *=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=* 【タイトル】 日本史奇説珍説、歴史の真相 【発行者】 倫太郎 【HP】 http://arassann.hp.infoseek.co.jp/rekishi/rekishi.htm 【E -Mail】 tooru102@hotmail.com *=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=* |