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┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓ ┃日┃┃本┃┃史┃┃奇┃┃説┃┃珍┃┃説┃┃歴┃┃史┃┃の┃┃真┃┃相┃ ┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛ =創刊号= *=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=* はじめまして。発行者の倫太郎と申します。 歴史研究の目的は、謎を解くためだけではありません。 しかし、歴史上の人物や事件には、不可解なこと、不思議なことがあるのも 見逃せない事実です。 そこに数多くの仮説・臆説が生まれるわけですが、中には暗示性にとみ はなはだ愉快で、楽しいものもあります。 そんな奇説・珍説をご紹介していきます。 *=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=* 第一話 ☆金印はなぜ、志賀島に埋蔵されたか ◇農民が発見した金印 1784年、江戸時代 徳川十代将軍家治の治世に当たるが、その 2月23日、筑前国那珂郡志賀島村(現在の福岡市東区)に住む 甚兵衛という農民が、奴国王の金印を発見した。 その日、甚兵衛は兄 喜兵衛に相談し、喜兵衛が奉公したことのある 店屋の主人に見せたら、「貴重な品物に相違ない」というので 福岡の米屋才蔵のもとに持参した。 才蔵は、この金印を亀井南冥という儒者に鑑定を依頼した。 南冥は、さすがに儒者だけあって、「これは倭の奴国王が後漢の 光武帝から頂戴した黄金の印章に違いない」と鑑定した。 その金印は、一辺が2.3センチの正方形で、厚さは約0.8センチ 重さが108グラムある。蛇を象ったつまみが、ついていて 金印に 刻まれた文字は、「漢委奴国王」とあった。 大昔に、倭国の奴国王が後漢の光武帝から下腸された印綬が 農民甚兵衛の発見した金印らしいというので、たいへんな騒ぎに なったのも無理なかった。 ◇本物か、偽物かの論議 さて、米屋才蔵は、亀井南冥の鑑定によって、農民甚兵衛の発見した 金印が、たいへん貴重な物であると知ると、是非 譲り受けたいと 言い出した。甚兵衛は、もちろん 拒絶した。 しかし、そのうちに、金印発見の評判が各地に広まったために 庄屋の長谷川武蔵も、これを放っておいたら、自分にどんな迷惑が かかるかもしれないと、甚兵衛の家に飛んでいき、郡代役所に 提出せよと詰め寄った。 甚兵衛は、しぶしぶ金印を郡代役所に差し出した。 それを聞き知った例の儒者亀井南冥が、役所にやってきて 「それは拙者が鑑定したものだが、百両で買い受けたい」と 申し出た。 この熱心な南冥の申し出に、郡代津田源次郎も、ほとほと困り果て ついに金印を福岡藩主の黒田家に上納してしまった。 すると黒田家では、執政の役にあった浦上数馬の計らいで、甚兵衛に 白銀50枚を与えたという。 この金印に関する研究は、早くも江戸時代から始まっている。 明治時代には、この金印が偽物ではないかという説も唱えられている。 それらによると、まず甚兵衛が発見したのは、本物の金印だが こっそり売却して金に代え、別に偽物をつくって、郡奉行の役所に 提出した。 したがって、現存する金印は偽物らしいと、いうのである。 ┓┓┓┓ 次号に続く ┏┏┏┏ *=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=* 【タイトル】 日本史奇説珍説、歴史の真相 【発行間隔】 不定期 【発行者】 倫太郎 【HP】 http://arassann.hp.infoseek.co.jp/rekishi/rekishi.htm 【E -Mail】 tooru102@hotmail.com *=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=* |