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タイトル:仇花の記憶 04/07/10 53号  2004/07/10


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仇花の記憶〜ショタやおい雑話〜

第十九回  ショタやおい日本史(一)
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御機嫌よう。葡萄瓜でございます。
では、ゆるゆると雑談をさせて戴きましょう。

今回から3回に分けて(駆け足ではありますが)
本邦に於けるショタ及びやおいという観点から
捉えた史実虚構交えた日本史めいた物をやって
行きたいと思います。
お気軽に御読みくださいませ。

●  ○  ◎  ●  ○  ◎  ●  ○
一番古い記録に現れるそう言う関係といいます
と日本書紀(720年成立)『神功皇后紀』で語ら
れる二人の禰宜(神主)の交わりですね。
親友が死んだのを受けて『無二の親友だったか
ら一緒の墓に埋めてくれ』といって死んでしま
って、遺言通りにそのまま埋められて、結果記
録に残される天変地異を起こしてしまった…そ
れだけ熱い交わりというならそうなのかも知れ
ませんけど…。
●  ○  ◎  ●  ○  ◎  ●  ○
万葉集(759年頃成立)や伊勢物語(959年成立)
等、和歌に纏わる方面で友誼の情を超えた感情
が遣り取りされる場面があったと言う説もあり
ます。
芸術が性別を超えたのか、性別を超えた所に芸
術が存在するのかは定かではないですが。
以降和歌と男が男を恋い得る心情の関連性は陰
になり日向になり虚実の合間を彷徨います。凡
そ戦国時代辺りまで。
●  ○  ◎  ●  ○  ◎  ●  ○
ここまで記した時点で、如何に俗説とはいえ空
海(774〜835)こと高野山開祖弘法大師が男色
の祖であると言う説は間違いではなかろうかと
納得される方もいるのではありますまいか。
これは往時の僧籍に在った者が自分達の行う稚
児愛を正当化する為の権威付けにこじつけたも
のでありましょうか?僧籍に在った者が稚児を
マスコット的な位置で愛玩していた事例は遡れ
ば奈良時代には既にあったと言う説も御座いま
す。
●  ○  ◎  ●  ○  ◎  ●  ○
僧・源信の著した『往生要集』(985年成立)に
は他人の寵愛する稚児に横恋慕して強奪した者
が墜ちる地獄が記されていますとか。第三衆合
地獄・悪見所と申しますのがその地獄であると
の事です。稚児が責められている様を観つつ自
らもまたその更に倍増した責め苦を受ける地獄
でありますとか。
●  ○  ◎  ●  ○  ◎  ●  ○
物語の一部に明らかに男児寵愛の要素を織り込
んだ最古のものは現在の所『源氏物語』(1008年
頃成立)と見て間違いないかと思います。
源氏の君が空蝉の弟・小君を(姉の身代わり半
分で)寵愛する部分ですね。
この背景には当時の宮中に於いて見目麗しい人
を男女構わず寵愛するという風習が根付いてい
た事があるかと思われます。
そこに相手の心情を尊重した愛情があったかど
うかは不明ではありますが。
●  ○  ◎  ●  ○  ◎  ●  ○
この時代の実在の人物で後世物語中で稚児とし
て寵愛?された人物に源義経(1159〜1189)が
居ます。能曲『橋弁慶』に於いては鞍馬山に登
る直前の少年・牛若丸として京の五条大橋にて
通行人から刀剣を奪い取る所業を重ね、それと
闘わんと赴いた武蔵坊弁慶を打ち負かして更に
主従の約を結ばせて居ります。(註1)。
又同じく能曲『鞍馬天狗』に於いては稚児・遮
那王と呼ばれ、鞍馬山に住まう天狗に恋慕の情
を捧げられ、そして兵法をもやがて授かる様に
描かれております
また司馬遼太郎著『義経』上巻に於いては遮那
王と名乗っていた寺稚児時代、師僧を相手に純
潔を失った過程が「稚児懺法」の章冒頭にて描
写されています。
俗に判官贔屓とは申しますが、それと等しく稚
児としての牛若丸遮那王も又愛されている証拠
でしょうか?
●  ○  ◎  ●  ○  ◎  ●  ○
時代が少々下って鎌倉時代前後から室町時代に
かけ、物語群の中の一分野であったお伽草子の
中の更に一ジャンルとして『稚児物語』と言う
分野が成立します。
凡そ描かれるのは僧侶と稚児との恋物語ですね。
あからさまな愛欲模様から淡い恋模様、又師弟
愛と感情の濃淡はありますが、大体が稚児愛を
前提として展開される物語です。
寺院内には戒律上女性は存在しません(しては
いけない!)から、可愛らしい稚児の姿は心の
潤いになったでしょうし、また一歩踏み込んで
…と言う僧もいたでしょう。その一歩踏み込む
事を止めずに宗教儀式の一環として黙認してい
た事も少なからずあった様です。(上で述べた
「義経」上(司馬遼太郎:著)内で描写されて
いる場面もまた、宗教儀式という方便で修飾さ
れた行為です。
寺院に預けられる稚児は凡そは貴族の子弟であ
りましたが、時には愛玩用に見目良き子供を攫
い、寺院に売りつける者も居たとか居なかった
とか。寺院内の人間模様を背景にして描写され
る稚児達の像は現代で言えば『健気』もしくは
『日陰』あるいは『尽し』キャラと見受けられ
ます。僧侶の修行成就の為には恋心を抑えて身
を退く…と言う立場に多く立たされている様な
気が致します。
この「稚児物語」の一群、絵画表現として残っ
ているのは『稚児草子』『稚児観音縁起』『芦
引絵』の3点で後はほぼ物語形式のみで現在に
伝えられております。この事について拙い知識
で愚考しますに、稚児の可憐さ丹精さ妖美さを
絵画で残すよりも物語として残し、後は読み手
の想像に任せて思いを膨らませた方が良かろう
との暗黙の諒解が往時在ったのやも知れませぬ。
実際の所は其処迄妖しい考えを巡らせる人が少
なかっただけなのであろうと思いますが。
往時の画風はまだまだ引目鉤鼻(註2)を美男
美女描写の最大公約数として優先する時代。稚
児各々の個性も引目鉤鼻と言う技法の前では滲
み出ようもありませんし。
3点の絵画が残っていて、往時の様子を絵で偲ぶ
事が出来ると言う事だけでも寿ぐべき事なので
しょう。
●  ○  ◎  ●  ○  ◎  ●  ○

今回は、少々半端ですがここまでと致します。
次回予定はこの続き、稚児物語周辺についての
追補から始める予定です。

では、此度はこれにてとりあえず筆を擱かせて
戴きます。次号まで、御機嫌宜しゅう。
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註1
『義経記』等の伝承に於いては狼藉を働いてい
た武蔵坊弁慶を牛若丸が討伐する、という筋で
あるが能曲に於いては立場を入れ替えて描かれ
ている。

註2
日本画の技法で平安時代以降頻出。
糸の様な眼と『く』の字型(鉤型)の鼻の描写
を特徴とする。
●○◎●○◎●○◎●○◎●○◎●○◎●○◎●
参考文献は別号にて配送します。
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仇花の記憶〜ショタやおい雑話〜
第十九回 2004.7.10発行

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