メルマガ:組紐工芸 工房 多津蔵通信
タイトル:夢幻出版社『多津蔵物語 梅雨の晴れ間で』   2004/06/01


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【水無月を迎えて】
今日から水無月が始まりました。
新聞の夕刊には、衣替えした高校生が写っています。
会社とか、学校とか、警察とか、団体で動く組織は、衣替えを致します。
衣替えは、日本の文化なのですから、賛成ですが、
皆が一斉にする事には、抵抗が在ります。
制服の押しつけは、均一なものを生み出せても、個々の特性を育むことは出来ないのです。
個性化が言われて久しいにも関わらず、現実は、強制が多いのです。
強制は、主体性も、能動性も、自立までも奪ってしまいます。
同じ音でも、”共生”なら嬉しいのですが、違うようですね。
”きょうせい”には、もう一つ在ります。「矯正」です。
此れも、在るべき姿が決まっていて、其の姿にする事なのです。
詰まりは、凸凹な存在は、認めない考え方なのです。
歯並びが悪いとか、背骨が曲っているとか、癖があるとかなのです。
矢張り、個性的な存在を否定する考え方なのです。
均一・平準化・標準・画一・等質・同じ・普通の考え方です。
異なり・違い・差異・不揃い・混濁・逆しまは、認められません。
工房「多津蔵」は、此の異なりを大切に致します。
何故なら、一年が同じでは無いように、季節を受けとめるには、異なりを認めなければ暮らせないからです。
都会では、暑ければクーラーで冷やし、寒ければ暖房で快適さを求めます。
此の考え方こそが、季節感を失わせ、人の呼吸まで忘れてしまうのです。
工房が、人の温もりを忘れないで、ものを生み出すには、此の異なりを忘れては為りません。
平準化こそが、戒められなければ為らない考え方なのです。
水無月は、梅雨を運んできます。
一年中で、一番雨の時間が長い季節なのです。
此の異なりを味わって暮らせなければ、工房は貧困な姿しか作れません。
主宰は、この事を考えながら、工房を運営しています。
                 夢幻出版社 編集長 田鶴彦乃蔵人
**************************************************************** 未完。

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