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夏を告げる祭りが始まりました。鵜飼い開き、出雲大社祭り、浅草三社祭、京都葵祭り、等などが繰り広げられます。 季節は間違いもなく夏を告げているのです。 工房の燕も雛が孵り、一生懸命に口を開いて餌を貰っています。愛鳥週間も始まっています。何処から見ても夏の便りばかりなのですが、人間の感覚は温度ですから、未だ夏とは感じてはいないのです。 自然界で一番鈍感な生きものが、人間なのです。其の人間の感性など、比べる迄もなく貧困なものなのですが、それでも、競い合って飾りたがります。 組紐の起源が、こうした飾る文化の姿にあることを識ると、愚かな人間の感性の補完をさせて頂いているのだと云えるのかも知れません。 工房のデザインルーム等の日記を読んでみると、嘆き節ばかりに聞こえます。明るいからっとしたお話は見られません。理由は明白なのです。季節感の取り込みに失敗をしているからです。 自然を形にすることが和の文化なのです。糞リアリズムの絵画は、そのものを描きます。処が、和の彩りは、重ねる色の文化なのです。而も、季節感を表現せねば為らないのです。西洋かぶれの凡人たちには想像も出来ない豊かな表現なのです。 組紐も、其の流れのなかで育まれてきました。主張を押さえて、控えめに粋な姿を表します。現代人には思いも付かない、たわやかな表現なのです。 組紐の世界は、四つ、八つ、十六と偶数の世界と、十七・二十五と奇数の世界が混在致します。 どちらも単純な世界なのです。どうして此れ程にまでシンプルなのか?此の答えこそが和の文化の本質なのです。和とは、単味の世界観では無いのです。重なり、合わさり、混ざり合った世界なのです。白黒の境目がはっきりした世界は、趣が無いと嫌われるのです。だから一つ一つの単純なものの重なりが大切なのです。 季節の境目で、祭りが持たれます。此の祭りが季節を告げるのです。鈍感な人間の知恵なのです。祭りによって季節を感じ、祭りによって共同体が維持されていくのです。 こうした日本の文化が、少しずつ崩壊をしています。祭りはイベントになり、地域共同体は、祭事の主催団体に成っているだけなのです。 工房「多津蔵」でも、お盆の夏祭りを致します。今年は、忍び寄る秋を感じさせる祭りを実現させたいものです。工房のデザインルームには、和の文化らしい姿を描いて頂きたいと願うばかりです。 夢幻出版社 編集長 田鶴彦乃蔵人 |