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初めて貰った記憶は、誰にでも在りますね。一昔前なら、神棚に飾ったものでした。 一昨日、工房「多津蔵」が初めて月給を支払いました。”月給”は支払った事は無かったのです。今までは、週給制だったのです。 この事は、多津蔵が社会保険の適用事業所として存立をした事を意味致します。 主宰の思いは、どんなものなのでしょうか?感慨に耽っている事でしょう。 昨年までは貰う側だったのです。其れが、自分が支払う側なのです。此の変わり様は、立場が変らねば理解は出来ないのです。 主宰の口から零れました。『給料日には財布が空っぽに成るのね。』 此の実感は、会社を経営して初めて感じるものなのです。経営する側と、働く側では、当然にも意識は異なります。此の異なりを克服しなければ、共生は出来ません。 どのような克服をすれば良いのか?答は『感謝をする』なのです。働いてもらって有り難うと思えるのか?なのです。 雇用する側も、働く側も、共に働けて嬉しいと思えるのか?なのです。詰まりは、工房で暮らす姿が、関わるもの全てにとって、気持ち良いものなのか?なのです。 給料は労働対価ですので、支払われて当然なのですが、契約内容が不満なら満たされません。初任給は、何処の企業でも支払い過ぎなのです。回収は出来ません。人的な投資的側面が強いのです。だから企業体は大変なのです。でも、此の投資無くして人は育ちません。仕方がない資本投下なのです。 でも、多津蔵のように始まったばかりの企業は、貯えが在りません。投資するべく原資が無いのです。急ぎ、自転車操業を余儀なくさせられます。この事が、主宰の悩みとして生まれました。労働保険料等、次から次に請求が派生致します。 初月給の嬉しみの影に、こんな悩みが生まれた事は、スタッフ達には理解できません。主宰も顔に出す訳にはいきません。多津蔵の初月給が届けてくれたものは『辛い我慢』でした。其れは、自分の給料が取れていない現実も連れて来たのです。 ”主宰の哀しみ”が、”初月給の形”で始まりました。 でも、主宰は知らないのです。儲かったときには独り占めできることを経験していないからです。 そんな時が来たら、夢幻出版社も、月給が支払われる事でしょう。楽しみに致しています。 無配が続く夢幻出版社 編集長 田鶴彦乃蔵人 |