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『たちばな賞』に付いては、既に”徒然”でも、”薩摩〜”でも書かれています。今更、何を?と、思われるかも知れませんが、切り口の異なりをお見せ致します。 『たちばな賞』とは、池坊の賞です。言うまでもなく京都のお花の家元の事です。 主宰の頂いたものは、初歩の初歩ですが、此の階段から始めなければ、何も始まらないのです。 主宰の拘りは、二年前の春から始まります。 四十を過ぎた人生に、満足できなくなった主宰は、思い切って、池坊の玄関を正面から叩く事にしたのです。 然し、其の時点では、まだまだ中途半端な関わりしか実現できていなかったのです。 大きな曲がり角は、多津蔵の実現だったのです。 多津蔵に生活を変え、お花への関わりは、具体的に変化を致しました。 一番の変わり様は、お花に関われる時空間が保障された事です。 保障?・・・そうなのです、都会では、お花に関わる事は、大変なのです。 場所の狭さが在ります。空間の窮屈さは云うまでも在りません。時間の制約まで在ります。花材を裁く場所は勿論、花を生けておく場所も無いのです。一杯の花を持って家に帰れば、邪魔者なのです。此の問題が全て解決を致しました。 更に、近くの道端に咲く花に出会え、道端のお店でも、季節の花が豊富に手に入ります。此の恵まれた環境は、多津蔵での生活を始めたからこそ、実現できたのです。 時空間の自由は、京都に出掛ける時にも味わっています。 工房の生活は、柵が何もないのです。 誰の制約も受けずに、誰の目を気にする事もなく、主宰の気持だけが問題なだけなのです。 こうした”呪縛の無い生活”を実現したからこそ、今回の『たちばな賞』が在るのです。 では、其れだけで貰えたのか?と云えば、其れは違います。 主宰が大きく変れた事に、先生があります。都会で習っていた先生は、基本の花を真似ることしか出来なかったのです。当然、主宰のお花も、教科書的な詰まらないお花でした。 多津蔵に居を構えてからは、先生まで変ったのです。今度の師は、池坊の教科書を作成している若手の先生です。基本には厳しいのですが、各自の持味を引き出すお花を生けさせて貰えるのです。毎月のお稽古で画然の上達を致しました。この事が、池坊でのゆとりを生み出し、謙虚な花が生けられたのです。 結果が、『たちばな賞』だったのです。 此の受賞は、主宰の人生を大きく変えるものと成りました。 ”全ての道は池坊に続く!”です。 文責 田鶴彦乃蔵人 |