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**************************************************** ---| 非公式情報 :マスコミが報道しない事実|---- <http://www.mailux.com/mm_dsp.php?mm_id=MM3D384F43742FA> オウム事件の解けない謎 By STRANGELOVE オウム真理教の元代表、麻原彰晃(本名:松本智津夫)の判決公判あるということで、マスメディアは朝からお祭り騒ぎである。が、浮かれているだけ。警察/検察の公式シナリオには少なからぬ疑問があるのだが、マスメディアは全面的にそのシナリオを受け入れているようだ。 中でも、最大の謎は「誰がサリンを製造したのか?」ということ。化学薬品製造の素人がサリン製造のプラントを建設できるとは到底、信じられない。単純な化学薬品合成のプラントでさえ、大学/大学院を卒業したばかりの人間が設計することは困難である。ましてサリンなど・・・。少なくとも、化学兵器の製造に関する実践的な知識を持つ人物がいなければ、サリンなど作れない。 逆に言えば、化学兵器の製造に精通している人物なら、サリンを合成することは可能だということでもある。実際、ある人物の暗殺にサリンが使われそうになったことがある。 1970年9月、南米チリの大統領選挙で社会党の党首だったサルバドール・アジェンデが当選した。この選挙結果に激怒したアメリカのリチャード・ニクソン政権はアジェンデ政権転覆を目的とする秘密工作をスタートさせた。総責任者はヘンリー/キッシンジャー。この秘密工作の存在を知っていたのは、情報機関の内部でもごく限られた人物だけだった。 最大の問題は、チリ軍の参謀総長が憲法を尊重するという態度をとっていたこと。たとえ左翼政権であっても、合法的に誕生した以上、忠誠を誓うとしていたのだ。その参謀総長が襲撃され、死亡したのは1970年10月のことだった。襲撃に利用された武器はアメリカ政府から提供された物だったが、襲撃の1週間前にクーデター計画は中止したとキッシンジャーは弁明している。 1973年9月、アウグスト・ピノチェトを中心とするグループがクーデターを成功させ、ピノチェトは殺害されたが、左翼政権の一部閣僚は生き延びて欧米諸国に亡命した。そのひとり、オルランド・レテリエールがアメリカの首都、ワシントンで暗殺されたのは1976年9月のこと。車に爆弾が仕掛けられていたのだが、当初の計画では、シャネルの香水瓶に仕込んだサリンが使われる予定だった。 このサリンを製造したのは、チリの科学者ユージニオ・ベリオス。ピノチェト体制が終わり、法廷で証言しなければならない状況になったベリオスは1992年に逃走するが、1995年4月に死体が発見された。殺害時期は1993年3月頃だと推測されている。 ---| Website開設 |------------------------------- Kassiopeias Report <http://members.aol.com/Kassiopeias> **************************************************** |