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多津蔵さんのご好意で、此のコーナを運営する事と成りました。 といっても、多津蔵さんの主宰が、私どもの社主です。 同じと思われるかも知れませんが、全然違います。 理由は簡単です。 私どもは、工芸の仕事とは無関係なのです。 どんな種類の仕事かと申せば、夢に取り組む仕事をしています。 夢に関する情報や文化を、文字にしてお届け致します。 此の「文字にして」が、今節は流行らないようです。 この事から分かることは、日本の文化は底が浅いと云う事です。 視覚に訴えないものは、二流呼ばわりまで致します。 工芸は、この意味では、視覚に訴えますので、時代のものと云えます。 時代に取り残された出版は、ハイテクの淵を遠巻きにするだけです。 此の厳しい情況の中で、而も、夢などと途方も無い事に取り組むのです。 読者が多い訳が在りません。 休刊をしていましたが、多津蔵さんのご配慮で、再出発を致しました。 私が、編集長の田鶴彦乃蔵人です。と、申し上げても見えません。 簡単に自己紹介を致します。 生まれは鹿児島。育ちは名古屋。歳は、いつも二十歳。趣味は、お酒。独身。 こんな処ですか。 私の書くものを、主宰が気に入り、夢幻出版社が出来ました。 だから、まだまだ出来たてのホヤホヤ?なのですが、既に休刊をしています。 其れには訳が在りました。 社主が、多津蔵に掛かりっ切りになり、編集会議も出来なかったからです。 処が、わたくしごときを忘れずに、こうして場所を与えて頂きました。 斯くして、水を得た魚?の如く、書かせて頂きます。 テーマは勿論『夢』です。 夢とは儚いものとお考えの方が多い事でしょうが、実は違います。 儚いのは、夢を持てない人の内面なのです。 夢を持ち続ければ、儚いのではなく、厳しい事に気付きます。 厳しい故に、仕方がなく手放すから、儚いと成るのです。 夢の本質は、現実との対決なのです。 現実は夢では在りません。 夢とは、現実を変えて、違う姿にしようとする事なのです。 甘い戯言を、夢と考えてみえたなら、其れは夢想と云うのです。 想うのは勝手です。想っても実現は致しません。 夢は、想うことでは無いのです。 実現する為に、抱くものなのです。 其の夢を、抱き続けられるか?此の一点に収斂を致します。 多津蔵が出来たのも、舎主と主宰が、夢を持ち続けたからです。 此の姿を、回顧しながら語るのが『多津蔵物語』です。***未完*** |