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タイトル:非公式情報 第92号  2003/12/26


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リビアとアメリカの深い関係

By STRANGELOVE

リビアが大量破壊兵器の放棄を表明、『テロリスト』に関する情報の提供もする意向だとされている。同国の最高指導者、カダフィ大佐は1988年12月にパンナム103便が英国ロッカビー上空で爆破された事件の責任も認めている。経済立て直しのため、アメリカの歓心を買おうとしているのだとする意見もあるようだ。

実は、イラクと同じように、リビアもアメリカの情報機関と浅からぬ関係がある。その一端が露見したのがエドウィン・ウィルソンの事件。1980年、ウィルソンはリビアへ武器や爆発物を違法輸出した容疑で起訴され、1982年にドミニカで逮捕、アメリカ当局に引き渡されたのだが、彼はCIAで秘密工作に従事していた人物だ。

ウィルソンに命令を出していたのはシオドア・シャックレー。シャックレーは1951にCIA入りして以来、一貫して秘密工作を担当、フォード大統領が再選されていれば、CIA長官になっていただろうと言われている大物である。ベトナム戦争の際には反米勢力狩りとして悪名高い『フェニックス・プログラム』を指揮していたとされている。1972年にアメリカへ戻った彼はチリのアジェンデ政権転覆工作を指揮することになるが、この件は別の機会に。

1971年にウィルソンはCIAを『引退』(言うまでもなく、形式上。情報機関に真の引退はない)、海軍の『157機動部隊』に参加した。海軍情報部の動きを探るために送り込まれたのだと言われている。ウィルソンは海軍情報部のダミー会社を次々に設立するが、その一方でシャックレーとのつながりも維持していた。

この頃、ウィルソンやシャックレーは『民間CIA』の設立について討議、リチャード・シコード少将やエリック・フォン・マーボッドも計画に参加していたという。ちなみにシャックレーとシコードとはベトナム戦争時代の秘密工作仲間。また、現在の国務副長官リチャード・アーミテージはフォン・マーボッドの推薦でホワイトハウスの要職についたことがある。

アーミテージもベトナム戦争の際、秘密工作に従事していた。DIA(米軍情報局)で最高機密の作戦に従事していた元大佐によると、アーミテージは海軍に所属していたものの、その実態はCIAの人間で、ベトナム戦争中にヘロイン密輸で重要な役割を演じていた可能性が高いのだという。

フォードが大統領選でカーターに破れた1976年、ウィルソンのリビアへの爆薬や武器の違法輸出が発覚している。が、その後も彼の密輸は継続され、高性能爆発物の取り扱い法をリビア軍へ教えるために要員を派遣、1978年になると電子ジャミング装置を売却したようだ。

リビアへの武器密輸が発覚した直後、アメリカの司法省はシコードをポリグラフにかけようとした。ウィルソンとの関係から考えると当然だが、実現しなかった。当時、国防次官だったカールッチが阻止したのである。1983年にシコードは退役する。

この人脈はイラン・コントラ事件でコカイン密輸に関係するのだが、この件は別の機会に譲る。

さて、パンナム103便のケースは、今でも『イラン黒幕説』を信じる人が少なくない。その約5カ月前、1988年7月にイラン航空688便がアメリカ軍のミサイル巡洋艦に撃墜されているが、それに対する報復で、実行したのはPFLP-GCだというのだ。

なお、事件直後、アメリカ政府は早々と『リビア犯行説』を打ち出し、オランダに開設された特別法廷は2001年、起訴されていたリビア人2名のうち1名に有罪判決を言い渡している。

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