メルマガ:組紐工芸 工房 多津蔵通信
タイトル:「薩摩の夢」 ”多津蔵物語 其の十一”  2003/12/22


今年も残すところ、後九日です。指で数えられる日数に成りました。
其れでも、未だ、仕事に限りが付きません。
例年なら今週で終わりなのですが、片付けねば為らない事が山ほど在ります。
注文が納まり切れて無いのです。此れは困ります。急ぎ作り込みます。
一週間で出来る量は限られていますが、頑張らねば為りません。
明日も、勿論仕事です。年末も、最後まで致します。何とか成りますでしょうか。
此の様に、日本の生活は、年末には、一応片付ける習慣が在りました。
年を越してなす仕事は、殆ど無かったのではと思われます。
其の制度が、習慣が失われていくのは、意外にも、最近の事なのです。
何故なのだろうか?考えられる事は、”年度”の存在です。
学校制が定着した事が、此の年を越す在り様を、変えました。
一月が、年の始めでは無くなったのです。四月が、其の年の始めなのです。
ややこしくて仕方が在りません。
最近では、新入学を、九月にする動きまで在ります。
国際協調の名の下、暮し方までもが、変えられていきます。
ボーダーレスとか、グローバルとか、地球規模の話が先行を致します。
でも、そんな考え方を、私達の暮らしのなかに持ち込む必要が在るのでしょうか?
地域の枠組みで生きる事が大切であって、世界規模を考えても意味は在りません。
日本が歩む姿は、国際的な規模の話では無く、毎日の暮らしのレベルの事なのです。
当たり前の、日常を満足に生きられなくては、何も無いと同じなのです。
年末の残された日をどのように暮らし、どのようなお正月を迎えるのかなのです。
此の考え方とは異なる暮し方が、大きな存在と成りだしています。
歳末も年始も存在しない、何処かの国を真似た暮し方が定着しだしました。
日本は、間違いもなく、自己の文化を失いつつ在ります。
”漂流元年”と、命名致しましょう。
多津蔵は、此の難民には成りたく在りません。
新たな決意で、新年を迎えます。
                    工房「多津蔵」デザインルーム

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