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タイトル:非公式情報 第90号  2003/12/12


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フセインの役割

By STRANGELOVE

米英軍を中核とするイラク占領軍が頼みの綱としているのはサダム・フセイン元大統領かもしれない。多くのイラク市民は『反フセイン感情』と『反米感情』を併せ持ち、『反米感情』から『反米レジスタンス』への移行を『反フセイン感情』が押さえているように思える。つまり、フセインの退場は反米レジスタンスを激化させる可能性があるのだ。

現在、アメリカ政府はフセインを『敵の象徴』として利用している。もし、彼が殺害されてもレジスタンスが沈静化しない場合、占領軍兵士やアメリカ国民に少なからぬ影響を与えるであろう。見えない敵と戦うのはつらい。

アメリカ政府もサダム・フセイン殺害のリスクを考慮しているはずだ。7月22日にサダムの息子、ウダイとクサイが殺害された直後、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領は「旧体制は去り、復活することはない」と上機嫌で語り、イギリスのトニー・ブレア首相は「すばらしいニュースだ」と喜んだという。抵抗運動が収まると期待したのだろうが、実際は違った。

勿論、こうしたリスクを承知でブッシュ政権がフセインを拘束する可能性は残っている。来年の大統領選挙の前に『フセイン逮捕』を演出するのでは、というのである。

しかし、『逮捕』には大きな問題が残っている。フセインとアメリカ政府との過去が掘り返されるかもしれないのだ。両者の緊密な関係は1950年代に始まっている。

第1次世界大戦後にオスマン帝国が滅んでイギリスの委任統治がスタート、帝国の一部だったイラクでは1921年に王政が成立した。その王政に終止符を打ったのが1958年のカーシム将軍らの革命である。

1953年にイランの民族主義政権をクーデターで倒したアメリカは、隣のイラクでも行動を開始。1959年にCIAはカーシム将軍の暗殺を計画したのだが、この企ての参加者の中にサダム・フセインも含まれていた。計画は失敗したためにフセインも国外に逃れ、CIAの保護下に入ったとされている。

そして1980年代、イラン・イラク戦争でアメリカはイラクを支援、ドナルド・ラムズフェルドもフセインに会っている。二人は旧知の間柄だということだ。

これに対し、フセインを一貫して嫌っていたのがイスラエル。1980年代にアメリカとイスラエルとの関係が一時、ギクシャクしたが、その理由のひとつがイラク問題だった。核兵器の開発などでイスラエルと協力関係にあった白人政権下の南アフリカと仲違いした理由も同じだったとされている。

現在のホワイトハウスを動かしているポール・ウォルフォウィッツ国防副長官たちが親リクード(イスラエルの軍事強硬派)だということは、すでに何度か指摘した通り。1992年からフセイン排除やシリアの弱体化を主張し続けてきたのも彼らだ。

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