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タイトル:非公式情報 第88号  2003/11/28


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ベトナム戦争を通してイラク攻撃を見る

By STRANGELOVE

アメリカ政府の行動パターンがベトナム戦争当時と似てきた。戦術面だけではない。アメリカ国内で戦争反対を唱える人々やグループに対する監視が強化され、ファシズム化が着実に進んでいるが、こうした面も似ている。

というわけで、ベトナム戦争でアメリカはどのようなことを行ったのか、簡単に振り返ってみよう。

1963年11月22日、ジョン・F・ケネディ米大統領がテキサス州ダラスで暗殺され、副大統領だったリンドン・ジョンソンが大統領に昇格、翌年に行われた大統領選挙で共和党の候補を破って当選した。ベトナム戦争へ本格的に介入したのは、このジョンソン大統領である。

ケネディが暗殺された翌月、ジョンソンは『OPLAN 34A』という計画を承認、これに基づいてSOGが誕生した。翌年2月からこのグループは北ベトナム攻撃を開始する。

7月には米軍特殊部隊員2名に率いられた南ベトナム軍兵士20名が北側のレーダー基地攻撃を試みたものの、失敗。その報復で攻撃されたのがアメリカ軍の艦船『マドックス』である。この事件は「北ベトナムによる先制攻撃だ」とジョンソン政権は主張、本格的軍事介入の口実にした。

ところで、ジョンソンの最有力スポンサーだったとされているのがブラウン・アンド・ルートなる会社。ベトナム戦争では基地建設などの仕事をペンタゴンから受注、数千万ドルを受け取ったとされている。

この会社、その後も戦争で大儲けしているが、今回のイラク攻撃でも登場する。リチャード・チェイニー副大統領が最高経営責任者を務めていたハリーバートンの子会社と言った方がわかりやすいかもしれない。

ベトナム戦争でアメリカ軍は激しいゲリラ戦に悩まされた。1965年以降、アメリカ軍は大規模な北爆を行うものの、状況は改善されない。そこで1967年6月にスタートしたのが悪名高き『フェニックス・プログラム』だ。作戦を指揮していたのはCIA、いや『CIAに潜り込んだ破壊工作チーム』と言った方が正確かもしれない。

「北ベトナムや南ベトナム解放民族戦線に味方すれば殺される」という恐怖心を人々に植え付けようという一種の心理戦だった。この作戦で殺されたベトナム人は2万人以上とも4万人以上とも言われている。『ソンミ事件』やボブ・ケリー元上院議員のケースもこの作戦の一環だったという。

1969年からフェニックス作戦を指揮していたのがセオドール・シャックレー。同じ時期、空軍の少佐だったリチャード・シコード(後の少将)、陸軍の大佐だったジョン・シングローブ(後の少将)、さらに海軍兵学校を卒業したばかりのリチャード・アーミテージやオリバー・ノースたちもインドシナで活動していた。後にイラン・コントラ事件で名前が出てくる人々でもある。なお、彼らが秘密工作用資金を調達するために行っていたのがヘロイン密輸だと信じられている。

蛇足ながら付け加えると、現在の国務長官、コリン・パウエルもイラン・コントラ人脈。この人物もベトナム戦争に参加しているが、その時、アメリカ軍将兵による不正告発を熱心にもみ消していたと言われている。

こうした行為が功を奏したのか、ベトナムから帰国したパウエルはホワイト・ハウスで職を得る。その時に上司だったのがフランク・カールッチやキャスパー・ワインバーガー。将軍になれたのは、そうしたコネのおかげだと言われている。

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