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”異なり ”を、”和 ”に、求めました。 ”和の定義 ”も、当たり前の生活と、組紐工芸に致しました。 この事は、此れ以外は、認められないと言ってるのでは在りません。 工房「多津蔵」が、生きていく方法を、語っているだけなのです。 では、何故?其のような規定を設けたのか? 其れは、工房の基本的概念と、設計図が無いと、誰も関われないからです。 其の内容を、”和 ”に、求めたのも、工芸が生きていく必然からなのです。 手仕事は、民芸を引っ張り出す迄も無く、日本全国に在りました。 何もかもが、地域の生活の中で、生まれていたと云える程でした。 商品経済が、地域の文化を、生活そのものを、崩壊させました。 多津蔵が考えている姿は、此の失われた生活を取り戻す事なのです。 生活が変われば、商品経済も変わります。 宛がわれた品物に依拠するのでは無く、自らが提案をし、実現するのです。 地域が、地域の特性を生かし、其の味わいを形に出来たならと考えます。 難しい事を、わざわざするのでは無いのです。 昔から伝わっている生活を、当たり前に、実行するだけなのです。 処が、此の”当たり前 ”が、なかなか出来ないのが現実なのです。 多くの人が、地域が失ったものは、悲しい姿となって実感できます。 工房多津蔵の建物も、地域の疲弊の産物なのです。 此の現実に、外から箱ものを導入しても地域が失ったものは戻らないのです。 昔の原風景を、人の内(なか)に取り戻さないと、何も解決は出来ないのです。 守らねば為らないものは、人の心の中に残っている地域共存の気持ちです。 多津蔵が目指す姿が、少しは御理解出来ましたでしょうか。 工房「多津蔵」デザインルーム |