メルマガ:青い瓶の話
タイトル:「青い瓶の話」 No.51  2003/10/25


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 ■■■                  青い瓶の話
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 ■■■                                                    不良の系譜。
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                                                2003年10月25日号 No.51
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●特集:近藤等則

●「ライク・ア・ラブレター」
vol.1・近藤 等則
vol.2・近藤 等則

○青瓶 2491「不良の系譜」・北澤 浩一

●「Bitamin K」
#1・近藤 空太
#2・近藤 空太

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●「ライク・ア・ラブレター」vol.1 ・近藤 等則


 もらって一番うれしいのが Love letter。
 書くのに一番熱が入るのも Love letter。
 Love letter はたった一人のひとのために書く。
 同時に10人の女性に Love letter を出し、誰からも返事をもらえなかった友人
が、「オレの住所を書くのを忘れてた」と負け惜しみを言っていたのを思い出す。

 Love letter を出すようにCDをつくって世の中に出す方法はないだろうか。
 と、と何年も前から思うようになった。
 10年前、東京を家出して、アムステルダムにドロップ・アウトして以来、通常
のコンサートをしたり、CDを出すことに興味を失った。「地球を吹く」と称して、
地球の大自然の中で電気ラッパを即興演奏する旅に出たり、アムスではエレクト
リックな機材で曲を作る毎日。

「地球を動きながらこうしてできてくる音楽を Love letter のように聴いてもら
うには、自分のプライベートレーベルを作るしかないだろう」
 そう思いつつも、音楽は作っても販売ルートに乗せることをしないまま何年も
たった。風となった自分の音楽を固形化して人にとどける作業が、自分ひとりで
できるはずもなかったのだ。

 今年3月、イラク戦争ボッ発数日前、急に「曲を作ってFree Electroでレコーデ
ィングしよう」と思い立ち、曲作りに没頭。6曲録音した。
 醜い戦争をしてしまう人間のエネルギーをどう感じて音楽にできるか、熱が入
った。
「文明は衝突しても文化はミックス(融合)する」
「オマエ達が核分裂してるならコッチは核融合だ!」
という意気で、久しぶりに作ったバンド・サウンド。10年ぶりに日本人で結成
したエレクトリックバンドFree Electroによる初レコーディング。

 Over the Rainbow にかけて Over the Rainbomb というタイトルを考えついた
まではよかったが、どういう販売をするか等何も決まっていない。
 まずはジャケットのデザインだ。「大人の戦争わかんない、僕たち子どもには
わかんない」がメッセージのOver the Rainbombだし、長男の空太にジャケットデ
ザインをやらせよう。子どもっぽい手作り感覚でどうだろう。題字は黒田征太郎
さんにカラフルなクレパスで描いてもらおう。

 それから、「THE 吉原」→ビクターのCDで仕事を始めたビクターエンターテイ
メン トの小川部長にディストリビューションのことを相談した。
 そして、ビクターミュージカルトレーディングの大槻代表取締役を紹介してい
ただき、日本国内の販売を引き受けてくれることがトントン拍子で決まっていっ
た。


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●「ライク・ア・ラブレター」vol.2 ・近藤 等則


 CD印刷基準に合わせてきちんと作るには子供だけではダメで、プロのアートデ
ィレクターの手を経ないといけない、というドジに気付いたのは8月に入ってか
らだった。
 夏休みの四国瀬戸内海の海で泳ぎながら、デザイナーのことを考えた。
「こんなメチャなお願い、誰がきいてくれるだろう」と思いながら、浮かんだの
が北澤さんだった。

 松岡正剛さんの「縁会」で北澤さんに会い、それから一ヶ月もしないうちにテ
レ朝通りの近くのバーで僕が飲んでいるところに彼が通りかかった。あれは夏前
だったとおもう。
 奇妙な2回の出会いで、酒だけを飲み、深刻な話は何もしなかったが、北澤さ
んがシャイな人だけど、凄い強いシンをもっていて、自己の美意識を深化してい
る最中の人なんだという風に感じた。

「北澤さんならオレの勝手なお願いを受け入れてくれるかもしれない」とひらめ
いて、8月下旬夏休みから帰ってくるなり、北澤さんに電話した。
 数日内に北澤さんが息子に出してくれた指示、印刷会社との交渉等、素晴らし
く的確に動いてくれた。
 マスタリングの須藤さんにしてもビクター関係にしても、こんな素晴らしい人
たちが集まってくれて、航路のない航海の果てに港が見える思いがした。

 9月5日に成田を立って、アムスからすぐItalyに行って演奏後、アントワープに
行ったりする中で、“Spiritual Nature”の次回作の構想がかたまってゆく。
 第二弾はBill Laswellたちとの“charged”。
第三弾はDJ Graz Hoppa(ヨーロッパのスクラッチチャンピオン)たちとの“find
 a planet”。
 第四弾は今回アムスで発見したDAT tapeからエレクトリックトランペット・ソ
ロメロディー集“Silent Melodies”。
 そして2004年6月までには“世界聖なる音楽祭 広島 2001”をCD、DVD化しよう
と思っている。

 北澤さんには引き続いて“Spiritual Nature”のビジュアルデザインの方向性
を打ち出してほしいと思っている。特に“Silent Melodies”は北澤さんにすべて
お願いしたいと勝手に思っている。
「地球を吹く」の旅の中で感じたことが、レーベル
“Spiritual Nature”でも起こりますように。

Nature resonances Universe.
Universe sounds Music.
Like a Love letter.

近藤 等則
9月23日 2003年:Amsterdam


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青瓶 2491
                不良の系譜。
                近藤等則 Spiritual Nature - Over the Rainbomb -




■ 近藤等則さんのCDジャケットの、アートディレクションをしていた。
「近藤等則 Spiritual Nature 第一弾 - Over the Rainbomb -」
 国内販売は、ビクターミュージカルトレーディング。
 ジャケットの題字は黒田征太郎さんである。
http://kitazawa-office.com/SPN/spn01.html

 若い読者には説明が必要かもしれない。
 近藤さんは、Jazzトランペッター・プロデューサとして世界的に有名な方であ
る。とりわけ、アメリカ・ヨーロッパでの評価が極めて高い。
 近年は、2000年「Mt. Fuji Aid 2000」、2001年「ダライ・ラマ14世提唱 世界
聖なる音楽祭・広島2001」をプロデュース。
 NHKの「地球を吹く」シリーズでは、ネゲブ砂漠、アンデス山脈などの大自然と
対峙して入魂の演奏を行なってきていた。映画、CMなどへの出演も多い。
 最近では、ビクターエンターテイメントからの「THE 吉原」が好評。
 栄芝師匠×近藤等則のコンビは、秋から冬にむけて各地を廻る。



■ 近藤さんとお会いしたのは、松岡正剛さん主催のパーティである。
 私はかつて「編集学校」の三期・不良のセンセだったもので、珍しく定価で買
ったブーツなどを履いて会場の隅にいた。
 近藤さんは栄芝師匠、鈴木清順監督などと並び、壇上で挨拶をされていた。
 大混雑の一次会が終り、二次会で酒が入る。二言三言、近藤さんと話をして、
「THE 吉原」のサンプル版をいただいた。
 夏のはじめ。
 空気がくぐもって湿る夜、私は信濃町で行なわれた会合を終え、一人で青山墓
地界隈を歩いていた。普段は車で移動するのが常だが、酔うと歩く。
 いつのまにか六本木ヒルズの手前につく。
 手前に隠れたラブホテルがあり、その価格などを眺め、坂道を昇ると窓が開か
れたBarがあった。カウンターに見覚えのある顔が並んでいる。
 私は一度通り過ぎ、それから引き返してBarの中に入った。
 定番のウィスキをストレートで貰い、飲み干して会計を済ます。
 帰り際、見知った顔に声をかける。いつぞやのサンプル版のお礼である。


 そこからは、こっちきて飲めの世界であり、いつの間にかJazz談議に華が咲く
ことになった。
「サッチモが死んでJazzの太陽が落ちた。マイルスが死んで、Jazzの月も隠れて
しまった」オレは朝日の取材にそう答えたんだ。それから、電話口で暫く泣いて
いたよ。涙がとまらねえんだ。
 近藤さんはそんなことを言う。78年にNYに渡った時に、マイルスに呼ばれたこ
とがあるという。でも、オレはいかなかった。いったらオレはトランペッターじ
ゃなくなるじゃないか。
 前後の脈絡と詳しい事情は聞いたが忘れた。確かそんな話をした覚えがある。
 ブルーノートの何番台。そのジャケットの話。
 私はジンのストレートを二杯三杯。いつの間にか腕まくりをしている。
 なんだかよくわからないが、旨い酒だったとおもう。
 不良の大先輩とともに酒を飲む。
 男として、これがどういうことかはわかるだろう。



■ 八月の終わり、事務所の壊れかけたソファで漠然としていると電話が鳴る。
 墓地はいりませんか、というものかと思って出ると「近藤等則です」と名乗っ
た。実はね、と話はここからである。
 数日後、送られてきた音のデモ版を聴く。
 部屋で聴き、仕事場で聴き、それから車の中で聴いた。音の厚味というもの
がもしあるのだとして、それから終焉に向かう苛立ちと不安があるとして、こ
の音楽は日本という枠組みを超えている。その速度、広がり。
 逆説的に言えば、だからこそ「THE 吉原」のような音を見つけ、構築すること
ができるのだろう。
 お世辞ではなく、ビッグ・アーティストの音だと私は思った。
 それから他の仕事を一切止め、数日の徹夜を含むデザイン・ワークスと、関係
各位・各社への調整作業が始まったのである。


03_09_29
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●Spiritual Nature / 近藤等則 Free Electoro - Over the Rainbomb -
A4Webフライヤー/ジャケット/レーベル/SPNロゴ
題字:黒田征太郎
Art direction by kitazawa-office | 北澤事務所
Designed by Bitamin K & kitazawa-office
http://kitazawa-office.com/SPN/spn01.html

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●「Bitamin K」#1・近藤 空太


 03年4月、富士通さんからラップトップをいただいた。
 することもなく「ジャケットをつくれば?」と持ちかけられた。
 元からあるソフト、フォトレタッチで作り上げた。
 音をもらう前、もらったあと、完成形。
 6月半ばまで三転した。

 誰でもその人だけのイメージ世界をもってる。
 それを具現化することは、他人に物理的に示すことは骨が折れる。
 少しでも近いものを見せようと、試行錯誤する。
 今回、近藤さんと僕の音に対するイメージをすり合わせるのは簡単だった。
 彼の方がより明確なイメージを持っていた。
 ここまでは、僕が北澤さんと会う前にしていたこと。

 8月31日、北澤さんに初めてあった。
 9月8日までの9日間、何度も会わなけりゃよかったと思った。
 受け手の反応を考えろ!
 サングラスのオッサンは直接これを言ったわけではない。
 でも、そういうことだったと思う。
 考えてほしい。
 僕は顔のある女の子と、同時に1人までならキスしたことがある。
 今回の製作で受け手は、顔のない同時複数の消費者たちなのだ。
 物理的にも精神的にもキスはできません、ハイ。
 僕の気持ちやイメージよりも、大切にされるべき何かがある。
 何かってなに?
 見易さ?綺麗さ?デザイン的かっこよさ?
 9日間、忙殺されながらも集中できなかった。
 僕は平坦な一本道を歩いてるのに、時に迷ってしまうのです、ハイ。


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●「Bitamin K」#2


 8月に夏休みで日本へ。
 両親の田舎と京都をうろうろし、地元に帰ったのが27日ごろだったと思う。
 8月最後の夜、僕は北澤さんと初対面した。dpiのことをきちっと教えてくれた。
マニュアルカメラでの取り直しが決まった。
 締め切りは9月4日午後。胃がムリムリと鳴った。
 僕はとてもムラのある人間で、気分ですべてをする。一度自分の中で終わった
ことをやり直すわけで、もうひとつUPにならない。不運にも、そのころ東京近辺
は連日曇りの予報。
 9月1日、僕はさらなる問題にぶち当たる。が、これは内緒。
 夜はFree Electroと「THE 吉原」のライブを見に行く。
 9月2日、昼に私用を済ませる。夕方、多摩川で曇る中撮影。
 9月3日、晴れた!朝、学校に行く前の弟を捕まえ撮影。3時から、登戸でミーテ
ィング。取り直しはナシ、になった。同時に更なる問題が解消され一安心。

 夜、北澤さんに青瓶デスクの三浦さんを紹介してもらう。
 印刷の関係でレーベル面を作り直すことに。
 他の構成要素もそれぞれ分かれた状態で提出。保存してないものがほとんどだが、
一度作ったものだし何とかなる。
 9月4日、夕方まで僕のPCは近藤さんの最新作3枚のコピーに追われる。
 それから作ったレーベル面は、近藤さんからNG。
 彼の意見を取って作って送ると北澤さんからNG。
 クライアントとデザインのプロ、その間に挟まれた素人の僕はなに?

 9月5日、徹夜。朝7時、構成要素をCD-Rにいれ、北澤さんの事務所へ向かう。9時
から一日私用。
 9月6日、爆弾のリメイクをする。日本に帰る前、アムスでPCの中を整理した。あ
の時、今回のデータのほとんどを捨ててしまった。5日の徹夜といい、自分で仕事を
増やしてる。
 9月7日、北澤さんに爆弾のCD-Rを渡す。夜じゅうに三浦さんとレーベル面を作る
よう言われる。三浦さんのが出来上がってたので(僕からはそう見えた)僕は2時で
事切れた。

 限られた時間の中で一番大切なのは、もたつかず前に進むことではないでしょう
か。今回くらったダメはちゃんと保存して、次回に生かしたいと思います。
 マジ、これじゃ終われないです。いつの日か業界を激震させたいと思います。
 そして、今回仕事した大人たちに引導を渡したいと思います。


近藤 空太:アムステルダム
(構成・編集:青瓶編集部)
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■「青い瓶の話」                              2003年10月25日号 No.51
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□編集長:北澤 浩一:kitazawa@kitazawa-office.com
□デスク:榊原 柚/平良 さつき/三浦 貴之
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