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神無月とは、神様が、出雲に集まる月です。 詰まり、神様が、お留守?なのです。 八百万の神々が、居なくなる月なのですから、神頼みは効きません。 仕方がなく、自分で頑張るより仕方が無いのです。 一年に一月だけ、神々が居なくなる事は、ある意味では合理的なのです。 何故なら、実りの収穫の秋を済ませ、厳しい冬を迎える前に、自分を見つめ直すには、丁度具合が良いからなのです。 神様が御見えにならないから、出来るのです。 日本の文化は、実は、此の回帰する己れの意識が、生み出している様です。 先祖供養・同窓会・記念の年の祝い・再現する仕事・自分誌、等などです。 端的な事例を見なくとも、歴史の中に、回帰する動きは沢山在ります。 其れは、恰も、潮が満ち引きするかの如く、繰り返し表われます。 都を作る有り様、権力を祭る仕方、民を囲む方法等、形は違えど、本質は模倣なのです。 新しい器でも、古いものを取り込み、溶け込ませて進みます。 だから、必然的に、回帰せざるおれないのです。 日本の特質と成るのは、農耕民族で、土地を離れられないからです。 勿論、日本にも漁業で生計を立てている人達も居ます。 瀬戸内に海賊が居たことも事実です。 然し、其の数は、圧倒的に少数なのです。 大多数は、農耕で暮していました。 繰り返し育まれる農耕は、いつも変わらぬ関わりと、伝えいくものに依拠致します。 回帰をせざるおれない必然が、此処に在るのです。 神々が居ない此の月に、一人静かに、見つめ直してみたいものです。 工房「多津蔵」は、そんな気配が漂っています。 |