メルマガ:青い瓶の話
タイトル:「青い瓶の話」 No.48  2003/09/26


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 ■■■                  青い瓶の話
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 ■■■                                                      わが復員。
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                                                2003年9月26日号 No.48
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○青瓶 2141
○青瓶 2249
○青瓶 2250
○青瓶 2251
●青瓶 2490
 北澤 浩一

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青瓶 2141
野火。




■ 週末、大岡昇平氏の「野火」(新潮文庫版)を再読する。
 敗北が決定的になったフィリピン戦線での「人肉食い」を主軸とした小説であ
り、戦後戦争文学のひとつの金字塔であると評されている。
 圧倒的で抑制の効いた描写。神とはなんであるか。
 解説は、吉田健一氏。
 初出は、昭和27年。手元にあるものは平成7年度で77刷を数えている。



■ 一体に小説というのは読みにくいものである。誰にでも読める小説というも
のがもしあったとして、実をいうとそれは「文学」ではないという気がしないで
もない。
 この小説の解説で吉田氏は次のように触れていた。

「彼が知識人であることを指摘するものがあるかも知れない。併し知識人である
ということは、現代人であるということであって、人間が知識人であることを強
いられるのが現代人というものの定義である」(前掲:181頁)

 誰かが、大岡氏の「俘虜記」だったかに触れ、「あの戦争という愚かな集団的
狂信の中において、これだけの冷静な分析をしていた男がいたという事実に驚い
た」というようなことを書かれていた。
 私は大岡さんの全集を読んだことがないので、これ以上のことは書けない。



■ やや長いが引用させていただく。

「私が静かに銃をさし上げるのが見える。菊の紋章が十時で消された銃を下から
支えるのは、美しい私の左手である。私の肉体の中で、私が一番自負している部
分である」(前掲:174頁)

 一旦、軍事教練に出された三八歩兵銃はその遊底部分にある菊印にバッテンが
加えられた。銃と人間の不足から、それらがもう一度回収され前線に送られる。
主人公はそのようにして徴収された平凡な中年男である。
 今の時代、「菊の紋章」をバッテンで消すなどという表現が、たとえそれが小
説の中の必然であったとしても、果たしてどれだけの作家に可能だろう。
 作中、銃を捨て、銃を拾う。十字架があり菊の紋章がある。
 背後の水脈として大岡さんは象徴主義の手法を小説の中に結実させている。

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「これが猿であった。私はそれを予期していた(略)。
 足首ばかりではなかった。その他人間の肢体の中で、食用の見地から不用な、
あらゆる部分が切って棄てられていた。陽にあぶられ、雨に浸されて、思う存分
変形した物体の累積を、叙述する筆を私は持たない」(前掲:155頁)

「後で炸裂音が起こった。破片が遅れた私の肩から、一片の肉をもぎ取った。私
は地に落ちたその肉の泥を払い、すぐに口に入れた。
 私の肉を私が食べるのは、明らかに私の自由であった」(前掲:159頁)

「現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼
等に欺されたいらしい人達を私は理解できない。恐らく彼等は私が比島の山中で
遇ったような目に遇うほかはあるまい。その時彼等は思い知るであろう。戦争を
知らない人間は、半分は子供である」(前掲:165頁)

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■ 暗闇の中で、山の稜線にちらちらと野火が見える。
 そこは人の住むところであり、ある種観念の、あるいはその反対物の幻のよう
なものである。
 平凡な主人公は戦後狂人として扱われる。些か長いこのフェイド・アウトが作
品の構造を静かで確かなものにしていた。
 文学作品から教訓めいたことを導くのは愚かなことであるが、近代の終焉など
というわかったようなことを言うのは、まだ相当に早いという気がする。


1999_07_26
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青瓶 2249
わが復員。




■ ふらりと入った古本屋で、大岡昇平さんの「わが復員わが戦後」を手に取っ
た。徳間文庫版。
 書き出しはこうである。
「朝、日本が右舷に現れていた」
 大岡さんと言えば、「野火」「レイテ戦記」「俘虜記」など戦争文学の最良の
部分を記した作家である。とりわけ「俘虜記」は、時間を置き繰り返し読むたび
新しい発見がある。「阿諛」「阿諛者」という言葉はここで知った。
「わが復員」はちょうどその裏側ともいうべき小品の集積である。
 引用させていただく。
__

「とにかく私は終戦人のようにがつがつしていないところを人にみせたいのであ
る。(略)
 組み立て中を破壊されたのであろう。飛行機の残骸が尾翼に日の丸をつけたま
ま積み重ねられている。
 復員者の感慨は無である」(前掲:「妻」41頁)

「出征前に私の知っていた妻は、ままごとのように料理を作り、人形と遊ぶよう
に子供と遊んでいた二十六歳の少女であった。それが二年の留守の間に、どうや
ら一人前の女になっていたのには、私は感服してしまった。
『戦争で大抵の女は女になったよ』
 と私の惚気を聞いたある哲学的な友人がいった」(前掲:39頁)

「黙って瞼を落として目の前の道を眺めている妻の顔に、私は悲哀を読んだ。二
人の子供を持ち、かつ生業のはっきりしない両親を持った娘として、私の出征中、
いくら『女になった』とはいえ、彼女が心に持ち続けてきた悲しみが、私にはわ
かるのである。夫の私はやっと帰って来たが、将来の生活に何の見通しもない。
ただ宮林の盗伐に良心を咎めない不逞だけがその才能である」
 ままよ、私としてなるようにしかなるものでない」(前掲:53頁)。

__

■ 実はこの後に続く文章が、恋愛小説のひとつの極みとも言える大岡氏の「花
影」の一節に相通じるところがある。
 今思い出して書いてみると、
「日は高く、風は暖かく、地上に花の影が重なって、揺れていた」
 というものだった。緑坂の93年春の頃に使わせていただいた覚えがある。
「俘虜記」が徹底して自己を対象化することによって濾過された文学だとすると、
「わが復員」とりわけ「妻」の件は、周辺に広がる日常の中で「妻」あるいはそ
の肉体を発見する過程を記したものである。
 それは繰り返し行われる。

__

 片づけをすませて上がってきた妻は、
「折角もう帰って来んと諦めていたのに」といった。
 意味のないことをいいなさるな。久しぶりで妻を抱くのは、何となく勝手が悪
かった。
「もし帰って来なんだら、どないするつもりやった」(略)
「そりゃ、ひとりで子供育ててくつもりやったけど、一度だけ好きな人こしらえ
て、抱いて貰うつもりやった」
「危険思想やな」
 我々は笑った(「わが復員」30頁:徳間文庫版)。


■ この部分の美しさは比類がない。


2000_02_01
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青瓶 2250
わが復員 2.




■ 気がかりなことを胸に抱いたまま、昼間の厄介をこなしている。
 手元には山本健吉氏の編著による「句歌歳時記」(新潮文庫版)があり、言葉
につまるとそれをぱらぱら捲っていたりした。
 このところ私は、差しあたって必要ではないような本ばかりを読み漁っていた。
本来読書とはそういうものであるが、ただそれだけであるともおもえない。
「失敗の本質」は、日本軍という組織が何故負けたのかを環境適応性という観点
をひとつの軸として論じたものである。
 加えて、山本七平氏の一連の著作は、それを個人の立場から補完するものとし
て現実味があった。「空気」と「水」、水を差す自由というもの。



■ Webオーサリングツールを触りながら、大岡昇平氏の「俘虜記」を捲る。
 本棚というよりも、メッキされた業務用の棚に平積みになっているところから
取り出してきたものである。岩波文庫の「明治東京下層生活誌」なども出てきた。
 私は本を読む際、鉛筆で線を引きながらする癖がある。どんなそれでもそうで、
暫くして読み返すことがあった場合、その軌跡を辿るのが常だった。
 一般に大人になるということは、物事を相対的に捉える訓練をすることを含ん
でいる。であるから、例えば昭和20年の敗戦の際にいくつだったかということは
個人の精神史にとってかなりの意味を持っている。大岡昇平氏が当時二人の子持
ちだったということと、その文章とは明白な相関関係にある。
 吉行さんは数年前のNHKの朝のドラマで一躍その名を知られたが、エイスケさ
んではなく淳之介氏の気分となると「焔の中」という短編集に、まだ整理されき
っていない鋭利な感覚が残っていた。その年齢差。



■ 一般に街から愚連隊が姿を消してゆく分水嶺となるひとつのポイントが昭和
35年だったと言われる。
 これは戦後がどう推移していったかを悪漢小説、無頼の徒の観点から眺める際
に避けることができないある種の区分である。
 美空ひばりさんの離婚の会見の際に、田岡組長が出席していてなんら不思議の
ない時代。
 例えば日本映画の名作と呼ばれるものは、おおむねその前後に作られてもいた。
 そんなことを思い出したりしている。

2000_02_01
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青瓶 2251
神経さん。




■「復員者の感慨は無である」
 大岡氏は「わが復員」の中でそのように書いていた。
 なすすべもなく妻の躯に馴染み、新聞を相当な苦労をして読破する。
 つまり、観念を操作する部分が軍隊・俘虜という二年間の動物的生活の中で機
能しなくなっていたのである。
「神経さん」とは、精神異常のひとに対する当時のひとの呼び名である。
 一行書いては外に出てぷらぶらする。闇の煙草を吸う。黙々と碁を打つ。近所
のひとたちがそう呼んだとしておかしくはない。



■ そこで執筆されていたものは、「俘虜記」のなかで最も難解でしかも高名な
「掴まるまで」の部分である。フィリピンの山中を逃げ回っていたときに、眼の
前に米兵の姿を認める。頬の赤いまだ若い兵士である。無意識に安全装置を外し
たが、氏は結局撃つことはなかった。
 その時の精神の動きをあたかも碁盤の目をひとつひとつ潰すかのように書き留
めてゆく。その描写は息詰まるほどであり、読み通すにはかなりの気力が要る。
闇の買い出しにゆく妻を痛ましい気分で眺めながら、大岡氏は延々と碁を打ち、
言葉を捜していた。



■ 敗戦直後、たとえ退職金が幾ばくかあったとしても、観念の世界で言葉を紡
いでいられるというのは客観的には恵まれた立場である。
 つまり大岡氏は比較的恒産ある立場の末裔なのだが、残念ながら文学や芸術と
いうものは代々没落したボンボンによってなされてきたものだ。場合によっては
「革命」もそうであったかもしれない。
 つまり、真面目にやればそれなりの立場になれたかもしれないのにそれをしな
い、あるいはできないという、堅気の世界とは一線を画するところに社会的存在
の核心があった。
 それはジャーナリズムの世界も同じである。特ダネ、スクープを他社に出し抜
かれることで、簡単に記者がクビになることは戦前までは当たり前のこととされ
た(文芸春秋:昭和30年臨時増刊「三大特ダネ読本」)。

 作品を書くに至るまで、氏は一度上京をする。五反田の高台にあるアパートに
友人を訪ねる。そこでC子に会うのだが、もしかすると彼女は後年「花影」のヒ
ロイン葉子の原型の一部になっているのではないかと私はいぶかんだ。あそこに
出てくる零落する先生というものも、確かにモデルがいるはずである。
 その後、鎌倉に住む小林秀雄などを訪ねる。
 この部分の交歓はいい。スタンダールを「スタ公」などと呼び、小林秀雄に
「過去を大事にしなきゃいけないよ」とたしなめられたりしている。
 復員列車のひといきれの中で、大岡氏は俺に書くことができるのだろうかと涙
を流す。
 そして付近に朝鮮人の多く住む神戸の山中に住み、「神経さん」と呼ばれるの
である。


2000_02_02
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青瓶 2490
                待て、次号。




■ すこし古い青瓶からひっぱりだしてきた。
 これは、読売新聞社が運営していたインターネットサービス yominet その
「文芸フォーラム」に掲載していたものである。
 当時私は、読売から業務委託を受け、運営と執筆を行なっていた。
「青い瓶の話」というのは、そのフォーラムの中にあるコンテンツのひとつの総
称である。同時に私の連作の通し名でもあった。
 この他に「緑色の坂の道」という作品群があって、こちらは作品性の濃度がや
や高い。
 濃度というのはいわく言いがたいものだが、不特定多数の読者を想定していな
い、という意味もすこしばかりは含まれているのだろう。
「夜の魚」も、緑坂の流れから生まれていた。



■ あるとき考えると、何度かの復員に似たようなことがあったことに気がつく。
 あの時はヤバかったな。どう切り抜けてきたのだろう。
 記憶にはないのだが、なにがしかの印象のようなものは残っている。
 女の横顔と白い腹。男たちとの酒。
 あのとき奢ってもらった。バカヤロウと言われた。でも、最後まで付き合って
もらった。友人が去ってゆく。そして女を裏切った。
 煙草の吸い方が一番旨い俳優はハンフリー・ボガートだと、開高健さんが書い
ている。
 独りであることを確認するための道具として、煙草とショットグラスというの
は、男も女もなく、静かな側近であるかのようにも思える。



■ ここに再掲した青瓶は、当時かなり力を入れて書いたものだ。
 今読むと不完全な部分も多いが、できれば省いてある部分について想像を働か
せていただきたい。
 暫くの間、青瓶MMは不思議な展開を図る。
 榊原・平良、妙齢両デスクの編集。水面下で行なわれているデザイナー、三浦
のWebサイト構築。
 そして、JAZZトランペッターとしては世界的に有名な、ある方の原稿掲載。
 ま、近藤等則さんなんですけれどもね。
 じたばた騒ぎながら、不良の系譜は続いている。


2003_09_26
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■「青い瓶の話」                              2003年 9月26日号 No.48
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