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---| 非公式情報 :マスコミが報道しない事実|---- <http://www.mailux.com/mm_dsp.php?mm_id=MM3D384F43742FA> 岸信介のDNA By STRANGELOVE 小泉純一郎が自民党の総裁選で圧勝、幹事長に安倍晋三を据えた。異例の人事とも言われているが、小泉首相の言動からすれば、不思議でも何でもない。「類は友を呼ぶ」というだけの話だ。話題の新幹事長は祖父、岸信介から『DNA』を受け継いでいると公言している人物。そのDNAをたどってみよう。 岸は第2次世界大戦中、1941年10月から1944年7月にかけて東条英機内閣で商工大臣を務めている。東条と岸とは親密な関係にあった。 ふたりが結びついたのは中国東北部、満州において。1939年10月までの3年間、岸は満州で仕事をしているが、その際に巨額の政治資金をめぐって両者は深い絆で結ばれたというのだ。その時に築かれた『満州人脈』は、その後の岸を支えることになる。 岸が満州で親密にしていた人物のひとりに、甘粕正彦がいる。憲兵隊の大尉だった1923年9月、無政府主義者の大杉栄らを取調中に殺害した人物だ。甘粕は懲役10年の刑に処せられたものの、5年ほどで出獄、1929年に中国へ渡って諜報活動に携わることになる。 当時、中国では日本の情報機関が財閥と組み、アヘン取引を行っていた。必然的に甘粕も麻薬取引に関わることになるが、甘粕との関係から、岸もアヘン取引に関係していたのではないかとする疑惑が今でも消えていない。 満州時代の岸を考える上で忘れてはならない人物がもうひとり存在する。新興財閥『日本産業(日産)』の総帥、鮎川義介だ。鮎川は岸の遠縁にあたる人物。岸は日産を満州に誘致、この工作は1937年12月に実現し、これを機に日産は『満州重工業開発』と名称を変更している。 1945年8月14日に日本政府は『ポツダム宣言』の受諾を米英中ソ4カ国に通告、戦争は日本の敗北で終わった。同年9月11日、『A級戦犯容疑者』のひとりとして岸にも逮捕状が出され、横浜拘置所に収監された。巣鴨プリズンに移送されたのは12月8日のことだ。 A級戦犯に対する判決が下ったのは1948年11月12日。岸の同志だった東条をはじめとする7名に絞首刑が言い渡され、12月23日に執行された。その翌日、岸は児玉誉士夫や笹川良一らとともに釈放される。 1976年2月に『ロッキード事件』が発覚、この事件に絡んだアメリカの報道により、児玉がCIAのエージェントだった事実が暴露されたが、残りの2名も似たような関係が疑われてきた。在ワシントン英国大使館の公使が残した1956年12月31日付の覚え書きには、アメリカが「岸に投資してきた」とある。 1953年11月、すでに代議士となっていた岸は40名の同志を虎ノ門の『晩翠軒』に集めるが、参加者の中には小泉純也(小泉純一郎の父親)も含まれていた。このグループが『岸派』の母胎になったとされている。その岸派は1954年11月、鳩山派や改進党などと手を組んで日本民主党を結成、岸は幹事長に就任した。 しかし、岸にとって民主党の結成は自由党との合同を達成するための一里塚にすぎなかった。1955年8月、重光葵外務大臣はワシントンでジョン・フォスター・ダレス国務長官と会談、その席上、ダレスから保守合同への期待を表明されたという。自由民主党の結成はその3カ月、11月のことである。 自民党結成から1年3カ月後、1957年2月に岸は首相の座につく。6月には訪米、19日にドワイト・アイゼンハワー大統領と昼食をともにし、引き続いてバーニング・ツリー・クラブでゴルフを行っているが、岸とともにコースを回ったのはアイゼンハワー大統領、通訳の松本滝蔵、そしてプレスコット・ブッシュ上院議員(ジョージ・W・ブッシュ現大統領の祖父)だ。 この当時、岸にはいくつかの資金源があったとされている。そのひとつが『日韓協力委員会』。1949年にインドネシア大統領になったアーマド・スカルノとの協力関係も大きな利権につながっていた。岸とスカルノとの間に立っていたのが木下商店の木下茂社長や永野護(永野重雄富士製鉄社長の兄)だった。 中東の石油利権も忘れてはならない。岸を中東に導いたとされるハリー・カーンは表向き週刊誌『ニューズウィーク』の編集者だったが、その実態はジャパン・ロビーのメンバーで、CIAと定期的に連絡を取り合っていたという。両者の友人関係は1952年、岸派結成の前年に始まっている。 カーンの人脈にはジョン・フォスター・ダレス、その弟のアレン・ダレス、カーミット・ルーズベルト(ダレス兄弟の下、イランの民族主義政権を倒した1953年のクーデターで中心的役割を果たした)、イラン・コントラ事件やBCCIスキャンダルにも登場するアドナン・カショーギなどが含まれている。この石油利権に日本側からかかわるのは、岸のほか日本精工の社長だった今里広記、小林中(あたる)、福田赳夫たちだ。 ---| Website開設 |------------------------------- Kassiopeias Report <http://members.aol.com/Kassiopeias> ---| OPC:米国の極秘テロ組織 |------------------------------- <http://great.mailux.com/mm_search.php?sh_mm_id=MM3D8ADF9051062> 特別レポート「OPC:米国の極秘テロ組織」(600円)の販売が開始されました。 【内容】 第2次世界大戦後、アメリカには要人暗殺やクーデターを一手に引き受ける極秘チームが存在した。OPCである。1950年10月にCIAの中に潜り込むが、その後も破壊活動、秘密工作をOPC人脈は続けた。英国のある学者に言わせると、CIAはこうした人脈が隠れ蓑に使ってきたにすぎない。この特別レポートを読まずにアメリカの戦後史を語ることはできない。 |