メルマガ:南米旅行記
タイトル:南米旅行記  2003/05/31


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南米旅行記No.14(2003年5月31日 Sat.)


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こんにちはエドワルドです。

「週0スペ0ン語」というメルマガがあります。スペイン語の基本的な単語を10
個ほど載せただけのメルマガなのですが、なんと2000以上の部数を誇っていま
す。「バ00クに死す」というメルマガも10行ぐらいの文章で、何と500部数
を越えているのです。

 やはり、タイトルが重要なのでしょうか。私のメルマガも「南米に死す」という
タイトルにでもすれば良かったのでしょう。南米旅行記はペルー編あたりから
面白くなるのですが、そこまで行くのに相当数の読者を失(でも、もっと増えてま
すけど)なったので、物語やスペイン語関係を加えた内容になってしまいました。
タイトルさえインパクトがあれば、もう一つメルマガを配信できる量でしょう。読
者の皆さんで何か部数が伸びるためのいい考えがあれば、お便りください。お願い
します。

                           エドワルド

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Index
1.五円玉
2.キューバヒヨコ戦争II
3.ワンポイントスペイン語会話
4.ワンポイントスペイン語文法
5南米旅行記XV

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五円玉
今から10年ほどまえ、私は一回に10000枚の5円玉をメキシコへ運んでい
たのです。当時一枚の五円玉が25円で売ることができましたから、銀行から仕入
れた10000枚の5円玉(新品でないと漂白しなければならないので手間がかかる)
が25万円に化けたのです。笑いが止まりませんでした。それにエアーチケット
もアメリカで買っていましたので、メキシコ〜ロスの運賃を入れても700ドル
(当時のドル円レイトが1ドル100円)ほどでした。一回運ぶごとに18万円稼
げたわけです。運び屋を月2回、年間24回やれば、4百万円以上(これだけ
のお金をメキシコで稼ごうと思えば大変だ)稼げると喜んでいると、五円玉ブーム
も直ぐに終わってしまいました。残念。

 皆さんは、なぜ五円玉がメキシコで売れたのか不思議に思われるでしょう。
ペルーの出稼ぎ日系人が日本から本国に帰る途中にメキシコに立ち寄り5円玉を
売ることを始めたということです。初めは37円で売れたそうで、始めた人は
ぼろ儲けをしたことでしょう。

 五円玉は穴が開いている世界でも珍しいコインである上に、五円と御縁を掛け
て日本でも縁起のいいお金として知られています。スペイン語を完璧に話すペル
ーの日系人は、「これはタリスマン(お守り)で、体に身につけるとお金が入っ
てくる」と上手く説明して、五円玉の売り込みに成功したのでしょう。だか
ら、当時のメキシコでは5円玉を首飾りにしている人が多かったです。

どこの国にも抜け目ない人間がいるものですね。

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ヒヨコ戦争II(キューバ)

ベシーノ(隣人)との言い合いから数日たったある日、私が庭にいると、
突然、顔ぐらいの大きさのレンガが私を目がけて飛んできた。とっさに顔を
傾けると、レンガは私の顔を掠めて地面に落ちた。

わたしは怒りをあらわにして、レンガの飛んできた方を睨みつけると、また大
きなレンガが飛んできた。当たったら堪らないので、家の中に逃げ込む。
部屋を見回すと鉄筋の棒があったので、相手への示威行動のためにそれを持って
庭に出て剣道の素振りを何十回かした。

そして「表に出ろ」叫んで、家の前の道に飛び出した。そのとき、私は鉄筋の棒
を持って出ればよかったのだが、私の主義である「喧嘩は素手で」に従って、武器
を持っていなかった。

 隣の主人は私が棒をもって出てくると思ったのだろうか、鉄パイプを持って自分の
家の前に立っている。そして、私を見るとこちら向かって突進してきた。私は最初
の一撃を避けたが、ゴムぞうりを履いていて、道の泥濘(朝方雨が降っていた)に
足をとられ転んだ。相手は転んだ私を目がけて棒を打ち込んでくる。私は体を転が
して逃げたが、後ろからは隣の主人が相変わらず追い掛けてくる。ちょうど、2メ
ートルぐらい段差があるところがあり、そこを降りようとすると足が滑って転げ落
ちてしまった。私は白いTシャツに白い半パンを履いていたので、服は泥色に変色
していた。

 キューバは観光を大事にしていて自国の住民より旅行者を優遇するので、警
察署に行こうと思って大通りでタクシーをひらおうとしていると、白バイ
(キューバでも白バイだ)が来たので手を上げて止めた。

 ポリスに自分の起ったことを説明しても「怪我がなければ何もできない」というの
で「なんだ、そんなことを言っていたら、旅行者が来なくなるぞ」と啖呵を切って私
は歩き出した。
 
服が泥色に変色しているのが、私の屈辱感を増幅して怒りを爆発させた。辺りを
見回すと大きな鉄パイプが転がっていた。それを拾い上げ、まっしぐらに隣の家
に走った。

 隣の主人は、近所の人間と満足そうに話している。おそらく「チーノは弱い」とで
も笑っていたのであろう。

 そこえ、私が鉄パイプを持って現れたのだから、顔が歪むほど驚いていた。
「おい。このアホ、出て来い。日本人を舐めるな。おれたちは、神風の子孫なんだよ」
と日本語で叫んだ。おそらく、「神風」しか聞き取れなかっただろう。
ベシーノ(隣組)が集まってきて、黒山(キューバは白人もいるから、栗色の毛を
した人間もいたが)の人だかりである。
「表に出ろ。Cobarde(臆病者)」といいながら、鉄パイプを武蔵坊弁慶のように振り
回した。
でも、相手は出てこない。私が剣道の素振りをやっていたので、忍者の修行でもして
いると思ったのであろう。

かれの友達が出てきて取り成しているが、こちらとしては腹の虫が納まらない。彼
の他の友達はナイフをちらつかしている。

 でも、こちらは太い鉄パイプだ。ナイフなぞ一撃で叩き落せるので怖くはなかっ
た。向こうも、それが分かっていたのか、決してかかってこようとはしなかった。

 結局、30分ほどそこにいたが。今までの人生でやった事もないような行為
をしている自分が情けなくなり立ち去った。もちろん、背後の気配を気にしな
がら。

 日本にいると差別をあまり感じないので、そこまでするかと思うかもしれない
が、「チーノ」という一言が私を切れさせた。道を歩いているだけで、毎日のように
呼ばれるのだから、鬱憤が蓄積されていたのだ。

 キューバ人(ラティーノ)は、怠け者で泥棒をする人間が多いのだが、面子を異常
に気にするので、隣の主人は次の日から足にギブスのようなものを巻いていた。足
が痛かったから、表に出て戦えなかったということを説明するためであろう。

 しかし、それでも面子が保てなかったと思ったのだろうか、しばらくすると引越し
ていった。

おわり

あとがき

何か、暴力ストーリーになって読者を少し減らしましたが、ほんとのことだ
し、脚色すれば迫力がなくなると思って真実を書きました。些細な言い合いがレン
ガを投げられる結果になったのですが、当時、誰かが家に来ると必ず何かを取ら
れ怒りが蓄積していたので些細な事にも敏感になっていたようです。それに、ヒ
ヨコが孵化するのに親鳥(地鶏)が21日間卵を温めなければならないし、約三
分の一くらいのヒヨコが一ヶ月以内に死んでいきます。それだけ、手間を掛けた
ヒヨコだから価値があるのです。それをキューバ人特有のトランパ(誤魔化し)で
騙されたら、小言を言いたくなるのは人情と言うものです。

 とにかく、ラテンというかキューバは、泣き落とされてお金を貸そうものなら
お金を借りた人間は、「あいつは簡単に金を出すアホよ」と周りの人間に言いふらす
ので、それを聞いた人間がまた騙しに来るというきびし〜い世界(また、そのス
トーリーを書きます)なのです。儒教の影響を受けた日本人には考えが付きませ
ん。どちらかと言えば、儒教の本家本元の中国人や韓国人のほうがキューバ人に
近い思考をするかもしれません。不思議〜。

 とにかく、私としては、他の日本人に私が失敗したような経験はしてもらいたく
ないし、ラテンの現状を肌感覚で感じて欲しいので、暴力ストーリーを書いたわけ
ですので、その辺をご考慮ください。

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ワンポイントスペイン語会話
Mucho gusto. はじめまして。
ムチョ グスト
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ワンポイントスペイン語文法
受動態
estar+過去分詞
ある行為、動作の完了した状態を表します。過去分詞は主語の性と数に応じて変化
します。

La habitacion esta adornado con flores.(部屋は花で飾られています)
Estamos cansados (わたしたちは疲れています)

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米旅行記XV

カエ(通り)プーノを歩きながら道を聞き、ペンション西海に辿り着いた。ここ
は南米でも屈指の日本人宿で、宿泊者による自治が行われている貧乏旅行者の梁
山泊である。日本に見切りを付けられたり、見切りを付けてきた日本人が、何をす
ることもなく長期滞在しているのである。

ペンションは一応ビルであるが、薄汚れた感じだった。伝説になっているこの建
物の前に立ったとき、何ともいえない感慨が湧いてきた。ベルを鳴らすと、シャッ
ターにへばり付いているドアが「ギー」と開いた。出てきたのは日本人で、こちら
を鋭い目で凝視している。顔は真っ黒に日焼けし、歴戦の貧乏旅行者であることを
物語っていた。
「君、どっかで会ったことがあるね」
「エドワルドさんじゃないですか。グアテマラのアンティグアであった浅井ですよ」
「それで、グアテマラから自転車で来たのかい」
「そうですよ。肝炎になって、北ペルーのツンベス(エクアドルとの国境沿いの街)
という街で一ヶ月ほど入院してましたけどね。とりあえず、中へ入ってください」
彼の後について中へ入ると、真っ暗でジュースのビンやガラクタが散乱していた。奥
に入って右に曲がると、そこには、長方形の大テーブルが置かれ、つわものの貧乏旅
行者が数人、雁首を並べていた。この雰囲気に慣れていない者だと、逃げ出したくな
る雰囲気が漂っていた。

テーブルの上には、飲み残しのビールや酒の空き瓶がところ狭しと並んでおり、昨
夜宴会があったのだと思われた。宴会といっても、貧乏旅行者は毎夜のように酒を
飲み管を巻いているのだが。

グアテマラで知り合った浅井君が管理人をしていたからだろうか、三階の窓付きの
一番いい部屋を宛がわれる。冬場(南半球の季節は北半球の反対になる)のリマはフ
ンボルト海流のせいで、いつもどんよりと曇ってジメジメしているので、一階の窓な
し部屋だと最悪だ。

部屋に荷物を置いて一階に降り、情報収集に精を出す。豪傑どもにいろいろ聞くの
だが、あまり喋ろうとせず黙々と旅行者用の情報ノートなどを読んでいる。仕方がな
いので、数冊あるうちの一冊借りて読んでみるとなかなか面白く嵌ってしまった。
プエルト バリオス(グアテマラ、カヤオ(リマの外港)、ビーニャ デル マル
(サンティアゴ デ チレ)などの花街の地図が詳細に描かれており、ミナトやサ
クラという日本人がよく行く置屋の名前が記入されていた。なかにはケニアのナイ
ロビの花街の情報まであるのだから、笑ってしまった。

そうである、南米こそ貧乏旅行者の半分以上が女目当てだといわれる、売春天国
なのである。

しかし、世の中には売春に狂っている奴が多いんだなと思いながら、目を点に
して読み漁っていた。
つづく・・・・・

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