メルマガ:堤のノンフィクション物語
タイトル:私がPTSDになった訳  2003/04/22


『私がPTSDになった訳』




*これは2001年に書いたものです。

前書き


私は今19歳です。
PTSDという病名をつけられ定期的にカウンセリングに行っています。
私は今なぜどうしてこのような本を作っているのかは私にもよく分かりません。
PTSDとは『心的外傷ストレス障害』のことです。
私の場合は軽いものだと思うのですが・・・。
私がPTSDになったのは痴漢・父親・先生・・・・。主に男が原因なのではないかと私
は思っています
これから私が今までに経験してきたことを、人名、など多少変えてありますが、出来事はノンフィクションで書いていきたいと思います。
 その時の自分が感じたまま文にしているので、自己中心的な考えのところもあるので、
そのままのようりに読んでください。


第1章 性格形成
 

私の一番古い記憶は母と弟と家を出た日の事だった。
 たしか私は部屋と部屋の間の廊下にいて、右の部屋にいた父を見る、とお酒の一升瓶を
ちゃぶ台において、崩れたお父さん座りで片手に酒を持って、じっと私を見ていた。
 左の部屋では母がいそいそとタンスから弟の服を出して着せていた。
 母が弟の着替えを終え、弟の手を引き玄関へ行く。
 (どこにいくの?・・・どうしたの?)
 父が言う。
 「お前は残れ」
 なぜだか私は無言のまま、一度も振り返らない母の元へ走った。
 母は玄関を出て車に乗りこむところだった。
 
 私は祖父母のいる母の実家に来たのだ。
 出迎えてくれたのは母の妹だった。『今日からここに住むのか』なんてことも分かって
いなかった気がする。後に当時私は3・4歳だったと聞く。
 保育園に行くようになった。
 誰からか『お父さんは?』という質問が何度も聞かれた。
 そのたび私は『お父さんは葉っぱを食べて死んだ』と言っていた。
 お母さんが言ったのか、自分で勝手に作って言っていたのかは誰も覚えていなかった。
 友達もできて保育園は楽しかった。しかしプールだけはよくサボっていたのを覚えてい
る。
 小学校に行くようになった。
 1年生の途中から転入生が入ってきた。
 その日から学校は何より嫌なものになっていった。
 その男の子は私ともう一人の女の子を標的としていじめてきた。
 席が私の後ろだったため、背中に洗濯のりを塗りたくられたり、給食の牛乳についているストローの中に唾液を入れられて「そのまま使え」と言われたり、筆箱など新しくするといろいろ言われ、左中指の裏の付け根をハサミで切られたりした。
 先生も、毎回私が泣いていて、周りの子がその男の子のせいだと言っているので、始めは注意しているが私からは何も言わなかったせいか直に『XX君のせいばかりにしちゃダメよ』と言うようになった。
 だから学校に行くのが嫌で、毎日嫌がっていたが、母にいじめられてることを言っていないので、無理やり車に乗せられ、学校で降ろされるという毎日を送っていた。
 この体験で、嫌なことでも何があっても断れないようになった。(友達は別で)
 髪形を変えるのも何をするにも人の目が気になってしょうがなくなった。
 本心から人を信じられなくなったし、裏切られるのを恐れて友達にもあまり本音が言えないようになった。
 しかしなぜ母にすべてを話せばよかったものを言えなかったのだろう。
 それが全てをマイナスにした気がする。
 
 

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