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タイトル:非公式情報56号  2003/04/16


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『チェチェン/ソマリア化』が懸念されるイラク戦争

By STRANGELOVE

サダム・フセイン体制の崩壊でアメリカの対イラク戦争が終結へ向かうと考えるべきではない。嫌われ者のフセインが表舞台から退場したことにより、多くのイスラム教徒は『晴れて』アメリカを攻撃できるわけだ。

中東のどこで暴動、クーデター、あるいは革命が起こっても不思議ではなくなった。イラク国内で武装蜂起が続く可能性もある。ユニフォームを着た軍人だけが相手ではない。つまり、イラク戦争の『チェチェン/ソマリア化』である。

ところが、イスラム教徒はアメリカに屈服した錯覚したのか、アメリカ政府は不安定化した中東にとんでもない人物をイラク統治の責任者として送り込んできた。ジェイ・ガーナー退役中将だ。

前号でも指摘したように、ガーナーはラムズフェルド国防長官の友人で、ミサイル防衛関連企業『SYテクノロジー』の社長だった人物。アメリカ軍内部で親イスラエル派(つまり反パレスチナ 派)の中心的存在だったことでも知られている。パレスチナ人の抵抗を軍事力で抑え込むべきだと考えているのだ。

そう言えば、1982年、レバノンに侵攻した際にイスラエル政府は『解放』のための作戦だと主張していた。勿論、実際に行われたのはパレスチナ人、イスラム教徒の虐殺だった。イスラエルがパレスチナ人に与えるという『自治』は強制収容所のそれにすぎない。

アメリカとイスラエル両政府はイラクを『パレスチナ化』しようとしているのかもしれないが、その先にあるのはインティファーダと武装イスラムのテロであろう。この『敵』はユニフォームを着ていない。かつて、CIAがベトナムで行った住民皆殺し作戦『フェニックス・プログラム』が再現されるのだろうか?

最後に、イラクの今後を考える材料として、『パレスチナの歴史』を簡単に振り返っておきたい。

1948年4月にシオニストの部隊はデイル・ヤシン村でアラブ系住民を虐殺、身の危険を感じた多くのパレスチナ人は国を離れた。シオニストがイスラエルを建国したのはその翌月のこと。1949年になるとアラブ諸国は次々と休戦協定をイスラエルと締結、こうした動きを『裏切り」と考えるアラブ人は少なくなかった。

1950年にUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)が活動を開始するが、その時点で作成された台帳によると、パレスチナ人は149万1200人。その内、イスラエル/パレスチナに留まっていたのは16万0700人に過ぎない。残りは、ガザ地区に24万0300人、ヨルダン川西岸に76万4900人、その他のアラブ諸国に32万2000人、3300人はそれ以外の場所に移り住み、いわゆる難民は91万4221人に達していた。

こうした環境の中、政府を当てにしない小グループや個人がイスラエルに対する武装闘争を開始、1959年のファタハ結成、1964年のPLO設立につながる。1967年の『第3次中東戦争(6日戦争)』でファタハはイスラエルに激しく抵抗、1969年2月にはファタハのヤセル・アラファトがPLO執行委員会議長に就任するが、この頃になると、アラブ民衆は自国の政府でなく、パレスチナ・ゲリラを支持するようになっていた。(つまり、アラブ諸国、特に親米の国が民主化されれば、ウォール街は利権を失ってしまう。)

このため、イスラエルだけでなくアラブ諸国もPLOを警戒するようになる。そのひとつの結果が1970年9月に始まったヨルダン内戦。ゲリラはヨルダンから追放された。1971年7月にはゲリラ約5000人がヨルダン軍に虐殺されている。

1974年の『第4次中東戦争』を経て1982年にイスラエル軍はレバノンに侵攻、パレスチナ難民を虐殺する。この侵攻の背景にも、PLOを国外に追い出したいというレバノン政府の思惑があった。ファランジスト党(マロン派キリスト教徒)のリーダーだったジェマイエル親子とイスラエルのアリエル・シャロン(現首相)との緊密な関係は有名だ。

---| Website開設 |-------------------------------
Kassiopeias Report
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『#7 石油パイプラインとラムズフェルド』(2003年4月14日)

イラン・イラク戦争でイラン側にたったシリアはイラクの石油を輸送するパイプラインを閉鎖、アメリカの巨大企業ベクテルはイラクからヨルダンを通る新ルートの建設を計画、この意向を受けて動いたのがラムズフェルド。1983年12月、ラムズフェルドはサダム・フセインなどイラク首脳と会談、イスラエルもパイプラインの安全を保障したが、1985年12月にイラクは建設拒否を決めた。この頃からアメリカとイラクとの関係が悪化する。・・・(詳しくは上記Websiteへ)

---| OPC:米国の極秘テロ組織 |-------------------------------
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特別レポート「OPC:米国の極秘テロ組織」(600円)の販売が開始されました。

【内容】
第2次世界大戦後、アメリカには要人暗殺やクーデターを一手に引き受ける極秘チームが存在した。OPCである。1950年10月にCIAの中に潜り込むが、その後も破壊活動、秘密工作をOPC人脈は続けた。英国のある学者に言わせると、CIAはこうした人脈が隠れ蓑に使ってきたにすぎない。この特別レポートを読まずにアメリカの戦後史を語ることはできない。

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