「人間の安全保障」の意義に付いてのノート  副題 「日本の政府開発援助の方向性に関して」 坂元 一美 ODA WATCHERS 一、 人間の安全保障と現在の危機  私達が現在、「新しい危機」の状態に生きていることは、もはや、誰も疑ってはい ないだろう。問題は、この「新しい危機の性質」である。  私達は、チェルノブイリ原子力発電所の事故から急速に進んだ東西冷戦の崩壊後、 この新しい「恐怖の時代」に直面した。「9・11」が、その、まさに、象徴的な事件 として、この「怪物の姿」を現実に見た思いをし、米国を急速に、この「怪物」の恐 怖の虜にしてしまった。  米国は、この現代の危機を生む怪物に、国家として立ち向かおうとしている。  新しい危機に直面した時、つまり、新しい危機的状況が出現している時、国家の生 存をかけた戦いに、法律、秩序、理性は無力なのだろうか。  米国自体が、もう一つの野獣と化しつつある。  こうした現代の危機を背景に、もう一つの概念が、私が考えるには、「人間性の回 復」という方向性から、「人間」を中心として現代の危機を把握する立場から、「人 間の安全保障」という概念が生まれ出ている。  今、ここに、世界の英知が集結して、現代の危機を冷静に分析し、理性を失わず、 ヒューマニズムの観点から、「人間」を中心に据えた安全保障を軸に、現代の危機に 取り組もうとしている、と私には思える。  このため、「人間の安全保障」の概念は、21世紀の平和と人権の促進のために、非 常に重要な概念であり、その本質を捻じ曲げ、摩り替え、悪用する方法は、私達の未 来に対する冒涜であり、人類に対する犯罪である、と考える。 二、 国家による「新しい危機」の解決  「9・11」事件後、米国は迅速に、現代の危機、つまり、「テロの恐怖」「大量破 壊兵器の拡散」(と一般に定義付けられているようであるが、本質的には、これら も、「新しい怪物」の一部、表象、目に見えるものとして現れた一部にすぎない)に 対して、自己防衛のための戦いを開始し、アフガニスタン、イラクとの抗争(への攻 撃)に突入した。巨大な「怪物」を封じ込め、制御し、息の根を止めなければ、国家 としての存続が危ぶまれる、という危機意識が米国にはある。米国は、国家の存立を 賭けて、この現代の危機の解決を図ろうとしている。  だから、これは、始まったばかりの戦いであり、先の見えない努力である。  米国の前に、「怪物」は、その姿の全容を見せてはいない。  この怪物は、インフォーマルではあるが、国家と同じ、一つの構造であり、社会的 実在である。しかし、この「怪物」は、本来、国家という次元からは、把握困難な構 造であり、「犯罪ネットワーク」と表現され、「反体制ゲリラ」とか「テロリスト集 団」或いは「原理主義者」と呼ばれることもある。これらの「指し示し」は、まる で、ルネ・マグリットの世界のように、「これは、国家ではない。」と言っているだ けのことであり、単なる、説明のための「レッテル貼り」に過ぎない。  この国家の暴走を、国際機関は押し留めることが出来なかった。  日本という、原爆被害を受け、悲しいまでに戦争に拒否反応を持つ国家が、今、大 多数の国民の声を無視して、米国の暴走に真っ先に賛同した。小泉、川口、福田とい う名前は、永遠に記憶されなければならない。川口は、サントリーという飲料水企業 から、外務大臣になっている。  超大国米国と嘗ての帝国英国、戦争犯罪の刻印を引きずる敗戦国日本、これらの国 等が、敵の見えない戦争に参戦してしまった。 三、 「人間」、或いは「人間性の観点」から見た「新しい危機」の原因  それでは、この「新しい危機」は、人間の目には見えないものだろうか。  私達は、この危機を体験していないのだろうか。実感していないだろうか。具体的 に指し示せないだろうか。  私達は、「アフガニスタンの難民を人間は体験している」、「今、イラクで米軍の 砲弾で傷つく民衆を人間は体験している」、「人間の楯として現地施設に留まってい る日本人を人間は知っている」、「バングラデシュでの砒素中毒患者を人間は知って いる」、「サンロケダムで射殺された青年を人間は知っている」、「コトパンジャン ダムで8000人規模の訴訟が日本政府と国際協力事業団等に提起されていることを人間 は知っている」、「アフリカでの感染症の拡大を人間は体験している」、「東チモー ルで起きたことを人間は知っている」、「ミャンマーの少数民族の悲劇を人間は体験 している」、「安全な水の確保の問題を人間は体験している」、「「南の国」の貧困 の深刻化を人間は体験している」、「北の国の倒産と失業を人間は体験している」の である。  人間は、国家からの「抑圧」「強制」「収奪」等を現実に体験している。  そして、「現代の危機」「現代の恐怖」の源泉が、この「国家からの恐怖」「国家 からの収奪」によって、引き起こされていることも、ハッキリと、人間の側からは見 えているのである。  また、国家が連合して、新しい収奪を模索し、実行に移そうとしていることも、人 間の側からは見えている。所謂「グローバリズム」による「国際化した恐怖、抑圧、 収奪」の構造も、人間の側からは、体験され、悲鳴として聞こえ、訴えとして表現さ れているのである。 四、 国家或いは国際機関の暴走・失敗の補完としての人道援助  「戦争は好ましいものではない、しかし、戦争が起きたならば、きっと、難民が出 る、或いは、公共施設が破壊される、そのための復興に資金がいる」、それは、起こ り得る事実かもしれない。(但し、日本政府は、特定のNGOに4億円もの資金を供与し て、数ヶ月前からイラク周辺国やクルド人自治区に於ける難民支援活動を行っている が、現在のところ、難民については、目立った徴候は無い。)  戦争を行うためには、敵が必要である。  米国等を中心とする国家群の新しい敵は、「現代の危機、つまり、「テロの恐怖」 「大量破壊兵器の拡散」(と一般に定義付けられているようであるが、本質的には、 これらも、「新しい怪物」の一部、表象、目に見えるものとして現れた一部にすぎな い)」である。  ブッシュ政権が、イラク攻撃の目的を何度も変更するという意見があるが、実は、 戦争の目的は「見えない敵」の封じ込めであり、「新しい恐怖」への対抗であって、 日々に口走る言葉は、「得体の知れない敵」を説明するレッテルに過ぎない。国家や 国家連合、国際機関には、怪物の正体は見えないのであり、捉えようが無いのであ る。  しかし、市民の側、人間の側からは、ハッキリと見えている。爆弾を落としている 爆撃機が恐怖の根源であり、「飲料水や食料の不足」が「生命の危機」の原因であ り、巨大なダム建設が文化と生活の破壊者であり、「権力者への巨額資金供給」や 「債務の取消」が権力の増強を促進するのであり、国家と国際企業との癒着が貧富の 格差を生んでいることを、人間の側は、明確に認識しているのである。この場合、誰 が、どんな行いをしたか、加害者は被害者を覚えていないだろうが、被害者は、ハッ キリと、その時の「恐怖の原因」であるものの顔、表情、情況、時期、場所、その時 の気持ちなど、全てを忘れようも無く覚えているのである。  銃口を口に入れた者が差し出すパンが、「人道的な支援」なのだろうか。  できることならば、そのパンを口にしたくないことが、人間性の発露ではないだろ うか。  恐怖と絶望をもたらした者が配給する食糧に口をつけることしか、生きる道が無 い、ということは、これも新しい抑圧であり、強要、支配では無いだろうか。  真っ先に、英米に賛同した日本国からきたNGOが日本政府の資金で、イラク攻撃の 数ヶ月前から4億円もかけてテントを貼り難民を待つ光景が存在するなら、それは、 人道主義と真っ向から対立する行為ではないだろうか。  「人間の安全保障」の立場から見ると、このことが、最も明確に認識できる、と私 は考えている。  人間とは、イラクの庶民である。勿論、イラクの庶民一人、一人であるが、その平 均でも、総体でもない。国家による恐怖に傷つき、怯え、絶望の淵にいる人間であ る。その人間は、「自己の安全を最も人間性を回復した情況で保障される」権利を持 つと私は考えている。この観点から考えると、イラク攻撃に加担した国家、国際機 関、企業、NGO等が、難民支援をしたり、復興事業に直接携わるべきではない。「人 間の安全保障」の概念からすると、その目的は、「人間を中心」として考えるべきで あり、「人間の尊厳、プライド、精神の優位」を最も尊重するべきである。  このため、英・米、日本等の戦争肯定国家或いは、それに属する政府機関、企業、 NGOは、あらゆる直接的な人道支援、復興事業から、「人間の安全保障」の観点に よって、退けられるべきであり、最後まで戦争に反対し、国際平和の秩序や法を遵守 し、「人間性の尊厳を尊重」した国家・国際機関、企業、NGO等によって、実施され るべきであることは明白である。  そして、戦争加担者は、独裁政権と共に、金銭的な補償のみによって、償いを行う べきである。  また、こうした観点によってのみ、英・米の「見えない敵」への攻撃は、英・米の 恐怖に対する攻撃であることを明示できるのである。つまり、米国等の行為が、打算 や利権、個人的利害ではなく、国家としての威信、自己防衛、つまり、「国家安全保 障」として行ったものであることを。(以上) 坂元 一美 SAKAMOTO Kazumi ODA WATCHERS (NGO)