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31.「マルコポーロ」廃刊事件 (その11) 皆さんの中には、日本で、戦後、 「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」 に関して繰り広げられた論争を 思い出して、欧米における「ホロ コースト」に関する議論も、ドイ ツ人が、「ホロコースト」の内容 に反論し、旧連合国やユダヤ人の 論客と論争すると言うパターンの 物だったと想像する方が、おられ るのではないかと思います。 ところが、違うのです。全然違う と言って、いい程、違います。日 本における「南京大虐殺」や「従 軍慰安婦」問題は、こうした問題 に関する戦後の日本における言論 が或る程度自由だった事を反映し て、日本国内から発生し、それに 対して、言論の自由が著しく制限 されて来た中国や韓国で、それに 対する感情的な反発が起こると言 うパターンを取りましたが、ヨー ロッパやアメリカでは、これと全 く違う経緯で、論争が行われて来 たのです。 御存知の通り、ドイツは、戦後、 東西に分割されました。そして、 ソ連の支配化に置かれた東独は、 問題外としても、アメリカ、イ ギリス、フランスの占領下で誕生 した新国家西ドイツ(ドイツ連邦 共和国)は、一応、「民主主義国 家」と成りました。 しかし、この新国家は、一応「民 主主義国家」とは成ったものの、 第二次世界大戦に関わる問題につ いては、「民主主義国家」とは思 えない程の厳しい言論規制を敷い て来ました。その為、この新国家 西ドイツにおいては、同じ敗戦国 である日本とは違い、歴史につい て、自由な議論は行われて来なか ったと言うのが、事実でした。 実際、ドイツでは、「ガス室」の 存在に疑問を投げ掛ける本は、事 実上出版が出来ませんし、それど ころか、そう言う意見を述べただ けで、禁固刑に(!)処せられる と言う法律が有り、現に投獄され て居る人が居ます。 こうした厳しい言論規制が続いて 来た結果、「南京大虐殺」や「従 軍慰安婦」に自由に疑問を投げ掛 ける事が許された日本とは違って、 ドイツでは、「ガス室」や「ユダ ヤ人絶滅計画」に疑問を投げ掛け る事が、殆ど不可能な状態が続い て来たのでした。−−これが、当 のドイツでは、この問題に関する 討論が進まなかった理由です。 ドイツでは、こうした状況が、基 本的には、戦争直後から、ドイツ 再統一後の現在までずっと続いて 居ると言って間違いではありませ ん。ところが、皮肉な事に、戦勝 国であるイギリスやアメリカ、そ して、フランスなどでは、敗戦国 ドイツより、歴史に関する言論が、 余程自由でした。 その為と言っていいでしょう。戦 後、当のドイツ人たちが、新しい 戦後ドイツでの言論規制によって 「ガス室」を自由に論じられずに 居た間に、皮肉にも、反ナチ・レ ジスタンスの英雄で、自らが収容 所生活を経験して居たフランスの 左翼知識人ラッシニエが、フラン ス国内で、「ガス室」や「ユダヤ 人絶滅計画」と言った、戦後、連 合国が「歴史」として流布した話 に公然と疑問を投じ、ドイツ人よ りも先に、言わゆる「ホロコース ト」に疑問を投げ掛けると言った 事が起きたのです。 (続く) 平成十五年四月五日(土) 西岡昌紀 (内科医・元厚生省医務官・ 「アウシュウィッツ『ガス室』 の真実」(日新報道)著者) |