|
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ Davide Yoshi TANABE vous presente ≪週刊フランスのWEB≫ 第161号 Tokio, le 3 mars 2003 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ Index (目次) 1.聖ドミニコ 2.ソリウとベルナール・ロワゾ 3.国立ドラクロワ美術館 4.シャンソン ピアフ 「彼女は云った」 5.忘れられたフランス人 プランテ兄弟 6.あとがき フランス語のサイトの文字化けは 表示>エンコード>西ヨーロッパ言語の順で選択すれば修正することができます。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 1.Saint Dominique http://perso.wanadoo.fr/damien.jullemier/sts/st-dominique.htm ドミニコというのは多分ラテン語名のドミニクスDominicusから来たのだろうが、 イタリア語はドメニコDomenico、スペイン語はドミンゴDomingo、そしてフランス語 名がドミニックDominiqueである。子供につけられる名前として最近はあまり流行ら ないらしい。やや男性が勝るが、男女ともにある名前である。本誌82号(2001年7月9 日)でフランス人として初めて日本に来たクルテ神父のことを書いたとき、「ドメニ コ会」の修道士と表現した。しかし、「ドミニコ」といわないとあまり日本では通じ ないようだ。ドミニコ幼稚園、ドミニコ小学校等、ドミニコ会系の学校が全国各地に ある。 ドミニコ会ordre de Saint Dominiqueの特徴は次の3点。 1. 奢侈を嫌い、清貧に甘んじること 2. 理論武装 3. 都会の人々に布教 正式名を説教者兄弟修道会ordre des freres precheursという。清貧だから、その 僧服も簡単な白い服と黒いマントである。異端との妥協を嫌い、その宗教裁判ではし ばしば重要な役割を占めた。理論武装の必要性か初めの修道会はボローニャとパリに 創られている。アッシジを総本山とするフランシスコ会も似たようなものだが、こう した厳しい戒律から世界へ伝道にでたのも不思議ではない。 修道会の創設者ドミニコは1170年スペインのブルゴス地方の生まれである。苗字は グスマンだからスペインではSanto Domingo de Guzmanが正式名といえようか。父親 Felix de Guzman。母親フアナ・デ・アサJuana de Azaが極めて信仰の深い人で、ド ミニコに宗教教育をほどこした。ドミニコの母が懐胎中にみた夢の話とか、ドミニコ が飢饉の人々を救うために家財を売り払い、果ては最も貴重である本まで手放したと いう話は、後の人が付加えたエピソードかもしれないが、ともかく当時厳格で強権を 誇った法王イノチェンティIII世のお眼鏡にかなったようで修道会を作ることが出来 た。晩年ドミニコはボローニュを中心として活動し、そこで亡くなる(1221年)。15世 紀末ボローニュの聖ドミニコの墓を完成させたのはミケランジェロである。 日本にあるドミニコ会の総本山は四国の松山にある修道院である。 82号で僕は、誰かドミニコ会のクルテについて書かないかと誘った。誰も書く気配 がない。ならば僕が書くかと思い始めている。書く材料は数多あって、外にも種々の テーマを本誌で提案している。怠け者の僕が手をつけるのは難しいからだ。だが、致 し方ない。本誌も3年を経過した。何らかのメルクマール(Merkmal、 caracteristique)を刻む必要があるときかもしれない。 ==================================== 2.Saulieu et Bernard Loiseau http://www.bernard-loiseau.com/fr/indexsommaire.htm サイトはベルナール・ロワゾのレストラン及びホテル・コンプレックスである。ブ ルゴーニュの小さな町ソリウにある。2月24日月曜日ベルナール・ロワゾは自宅で自 殺した。ル・モンド紙によれば、ボキューズがガストロノミー・ガイドブックの評価 が落ちた所為ではないかとコメントしたらしい。ミシュランの三ツ星(1991年取 得)、ゴミヨGault-Millauでも最高得点(19ポイント)をえていたが、ゴミヨが評価 を下げた。 ロワゾは立志伝中の人物ともいえ、52歳でその生涯を自ら閉じてしまったのだが、 かのトロワ・グロでコック見習から始め、1975年ソリウのホテルの料理長になってか らというもの成功を目指して街道を驀進した。そしてついにはグループとして株式上 場までさせた(1998年)というからそうとうなもの。誰にでも真似ができるわけでは ない。 またあるジャーナリストはこの自殺を17世紀の伝説的キュイジニエ、ヴァテルの自 殺を想起させると書いた。ヴァテルについては本誌57号(2001年1月15日)に少し記 した。ヴァテルは、国王を招待する席で、鮮魚が間に合わなかったことを悔いて自殺 したという。料理人というよりはエンタテイメント監督である。この比較は如何なも のだろう。ヴァテルは一種の引責自殺といえるけれども、ロワゾの場合は別段エリゼ 宮(大統領府)のレセプションで失敗したということでもない。今時エリゼで何が出 るか知らないが、たとえ三ツ星レストランで鮮度の落ちた魚を出したとしても、ス キャンダルにもなるまい。 ゴミヨは今年初めて満点の20ポイントをあるレストランに出してしまった。ガイド ブックの評価は、その基準が実は良く分からない。料理の質だけではなく、サーヴィ スまたインテリアの趣味にまでいたるから、評価を受ける側としては点数を上げるた めに投資に継ぐ投資を強いられるようだ。ロワゾは評価を上げるために必死の努力を した。と同時に上がっていく評価を利用もしたはずである。メディアにも頻繁に登場 でき、また登場するようになった。 メディアを利用したロワゾは、逆にメディアに殺されたのかもしれない。 しかし、ミシュランやゴミヨの評価をありがたがる客にも問題がある。三ツ星と いっても、乱立しているようだ。三ツ星で食事をするのは見栄なのか、自己満足なの か。ぼくにはまた行ってみたい三ツ星はない。唯一例外であったスイスのFredy Girardetは引退してしまった。賢明である。 Saulieuについてはオフィシャル・サイトが重いので、次のサイトで代用する。 http://www.ifrance.com/gite298/saulieu.htm ソリウにはまた1937年に開店したこれまた伝説的なシェフ、デュメーヌAlexendre Dumaineのレストラン「Chez Budin」があった。 57号で参照したサイトはリンクできなくなってしまったので、新たにFrancois VatelことFritz Karl Watelについては次を見て欲しい。 http://b-simon.ifrance.com/b-simon/cel3.htm ==================================== 3.Musee National de Eugene Delacroix http://www.musee-delacroix.fr/index.html パリの六区Frustenberg通り6番地に1857年も押迫った12月28日、ドラクロワはここ に最後のアトリエをもった。住居でもあったこの場所が国立ドラクロワ美術館として 公開されている。丁度改装が終わって今月5日に再度扉が開かれる。 ドラクロワの主要な作品は、国が買い上げている場合が多く、従ってルーブル美術 館等で見る機会の方が多いと思われる。しかし、ドラクロワのもっと身近な生活を知 りたい向きには欠かせない美術館である。 ドラクロアは1798年4月26日、オランダ大使、マルセイユやボルドーの知事を務め た父とルイXV世有名な家具職人の娘である母の間に生まれている。リセに通っていた 17歳の時、画家である叔父 Reisenerの勧めで本格的に絵を習い出してから、才能が 開花。物議をかもした作品があるにしてもかなり順調な画家生活を送れたのではない かとおもわれる。従兄弟Leon Reisenerも画家である。 当時の文化人との交流、ジョルジュ・サンドとショパン、ボドレール等との交流は 有名である。 しかし、表面順調にみえるドラクロワの影の部分というのがあるらしい。自らの出 生に対する疑いが原因という。ナポレオン帝政時代に青年時代を過ごし、王政復古後 も名声を保ち、次の第二帝政も泳ぎきったドラクロワ。官展を中心に、教会権力とも 強く結びついていたと思われるドラクロワ。ボドレールが褒めちぎるようにドラクロ ワは並外れた天才であっただけなのか。平野啓一郎の近著「葬送」はドラクロワと ショパンの半生を二月革命という二度目の市民革命を通して描いているようだが、華 やかなサロンに出入りした画家と、人には見せず日記にも書けなかった個人的懊悩を もった男の二重人格的側面をどう平野は処理しているのだろうか。いつか読んでみた い本のリストに入れておこう。 ==================================== 4.Edith Piaf Elle a dit Paroles: Edith Piaf. Musique: Gilbert Becaud 1952 Elle a dit : "Tu sais, nous deux, c'est fini ! A quoi ca sert de s'accrocher ? Il faut savoir garder sa dignite, Et puis... j'aime pas voir un homme pleurer... Il vaut mieux qu'on se quitte bons amis, Comprends, aide-moi, et souris..." Alors il a fait comme elle demandait : Devant elle, en partant, il chantait La-la-la... 彼女は云った 「ねぇ、私たち二人、お仕舞いよ! しがみついても意味がない 誇 りをしらなければ それに、、、 男の泪なんてみたくない、、、 お友達として別 れましょうね わかって 欲しい 微笑んでちょうだい、、、」 そこで男は女の 云ったようにした 女の前を去りながら 歌を歌った ラララー、、、 Elle a dit : "Tu sais, nous deux, c'est fini ! A quoi ca sert de s'accrocher ? Il faut savoir garder sa dignite, Et puis... j'aime pas voir un homme pleurer..." Quand il s'est couche seul dans son grand lit, Alors d'un coup, il a compris Que ca serait plus dur qu'il ne pensait, Et tout seul dans son lit, il pleurait... Ah-ah-ah... 彼女は云った 「ねぇ、私たち二人、お仕舞いよ! しがみついても意味がない 誇 りをしらなければ それに、、、 男の泪なんてみたくない、、、」 男は一人大き な床に横になったとき 突然 わかった 思っていたよりずっと辛いと 一人寝に 男は泪した、、、アアアー Il a dit : "J'peux pas croire que c'est fini ! Je sens que je vais m'accrocher... C'est tres beau de garder sa dignite Et ca fait tellement de bien de pleurer. Quand je pense au jour qui va se lever, Aux choses qu'il me faudra cacher, Je sens que j'pourrai jamais m'habituer..." Pour finir dignement, il s'est... Aaaah-aaaah-aaaah... Tout seul il pleure dans l'eternite... 男は云った 「お仕舞いだなんて信じられない いがみつくだろう、、、誇りなんて 立派だが 泪することはとてもいいことだ 明日という日に 隠さねばならないこと を思えば 俺は慣れはしないだろう、、、誇り高く終えるために 男は、、、アーア アアー、、、 男は永久(とわ)にむせび泣く、、、 この曲の作曲がジルベール・ベコである。2001年12月18日に亡くなってしまった が、ピアフを知ったのは50年代の初めのアメリカに於であった。その後、ピアフのマ ネージャーにしばらくなっていた。 ==================================== 5.忘れられたフランス人 Gaston Plante / Francis Plante http://perso.club-internet.fr/dspt/PLANTE.htm プランテ兄弟といってもライト兄弟のように一緒に何かをしたのではない。全く違 う分野で活躍した兄弟である。 兄ガストン・プランテは鉛電池の発明者(1859年)である。車に今でも使われている バッテリーを考え出した。しかし、実際に工業的に生産されたのは発明後20年を経て からであった。ピレネーはベアールBearn地方の町オルテOrthez(このzは発音される かもしれない)に1834年生をうけた。ベアールはフランス料理でよく使われるベアル ネーズ・ソースにその名が冠されているのでイメージがあるかもしれない。ガストン はこの地方の領主が代々名乗っていた名前なので選ばれたのではないかと思われる。 ガストンIII世Gaston Phebus(1331 -1391)は名君といわれたようだ。1889年に亡く なっている。この町の公式サイトは、 http://www.mairie-orthez.fr/ 一方フランシスは1839年、同じオルテで生まれた。この弟の方が、音楽愛好家だっ た父親の意思をより継いでいるのではなかろうか。ピアノの英才教育を受けている。 そして望み通り、19世紀フランスでもっとも優れたピアニストの一人となった。リス トLisztを得意としたというから類稀な技術をもった演奏家であったに違いない。大 変長命で1934年、95歳でなくなった。最後の演奏は1930年、なんと90歳を越えていた わけである。 http://194.206.14.162/landes/prod-media/0400DEP/Art/plante.htm ガストン・プランテの名は、生地オルテは勿論各地の通りの名前になって残されて いる。 ==================================== 6.あとがき item2でBernard Loiseauの自殺について事件として触れたが、「自殺」そのもの には入りこまなかった。自殺は個人のエゴイスティックな選択である。その意味で是 非もない。以前「あとがき」で幾つかの自殺の例を書いた。初めて知人で自殺した例 は小石川高校生であったM君だったが、さしたる交流もなかった人物でショックもな かった。ジュネーヴやルガノでは付き合いのあった隣人の自殺にあって、これは生々 しい体験となった。しかし、死を知らされる前から絶望的隣人であったから、予測さ れないことではなかった。帰国後、大学時代の友人が自殺した。親友というほど卒業 後接触していなかったので、この場合もindifferentである。自殺以外の死にもあっ た。先ずは父である。海外にいれば、いわゆる死に目に会えないのは覚悟していた が、突然であったので驚いた。しかし、おぞましい葬式を除いて、運命は甘受されね ばならない。アルジェでともに第二の青春を分かち合ったケチオ君は日本で癌に倒れ た。キリスト者として正義を生きながら、「放蕩息子」だったと自省して逝った謙吾 君。沖縄の地でなくなった山吉剛君、無念な最期であった。病に冒された自分よりも 僕のことを心配してくれた数少ない友人である。それでもぼくは墓参りをしない。父 も友人たちもみな僕の記憶の中に、心の中に生きている。死は生きている、生きさら ばえている人間との距離に影響を与えない。去るもの日々に疎しとはいうが、死は僕 にとって友人であれば距離を隔てるものではない。その死がたとえ自殺という選択に よって齎されたものであっても、死は生と同様永遠ではない。次に来るべき死、即ち 僕の死によって完結する個人的時間の終焉である。 僕は自殺するモチーフも衝動も今持ち合わせていない。しかし、いつか自殺を選択 するかもしれない。江藤淳のような選択もあるだろう。明日ホームレスになって、野 垂れ死にするかもしれない。野垂れ死にする前に概念として忌み嫌った「世間」を騒 がせて頓死するかもしれない。死に意味を持たせるようなことはしないだろう。そも そも意味がないのだから。それでは生に意味があるか。それもまた疑問である。 こうしたことを考えながらクルテGuillaume Courtetの死をもまた考えたいのであ る。神との対話は自己との対話であっただろうから関心をそそるのである。 とはいえ、ぬくぬくとDNAに書かれた絶対時間だけ醜く生きながらえるのかもしれ ない。それもまた運命である。 さて3月8日である。この日は「国際女性の日」である。今年はこの日に国際反戦 デーとして各地でデモンストレイションがある。日曜日広島では「No War, No Du」 の人文字を作った。Duとは劣化ウラン爆弾のことである。僕は参加しなかった。広島 まで行くお金がない。それだけのこと。これを主催したNPOのホーム・ページを見た 限り、前日まで果たして人文字が作れるのだろうかと危惧したが、日曜日には天候に も恵まれて、必要な数だけ人が来てくれたようである。来る8日、日頃政治に関係の ない、関係を持ちたくない市民の方々よ、ぜひ足を運んで欲しい。そして、もし「嗚 呼、くだらない一日だった」と思ったら、批判の矛を主催者達にむけて欲しいのだ。 旧態然とした日本のカッコ付きの「民主主義」を標榜する連中を「おかしいよ、どこ かへんだぞ」というのはメディアではなく、僕たちでなければならないのだから。そ れは僕が上に書いた「個人的運命の甘受」とは違う、歴史的時間への「個人的運命の 参加」なのである。生と死という個人の時間から「連帯」へのエランelan(飛躍)を 意味するからである。 この「あとがき」、解り難かっただろうか。徒なレトリックを使いすぎたろうか。 諸姉諸兄のご批判をお待ちする。 ==================================== 発行者:田邊 好美(ヨシハル) 〒 157-0073 東京都世田谷区 e-mail: davidyt@m2.ffn.ne.jp 郵便振替口座 名称 HEBDOFRANCE 番号 00110-2-314176 成城学園前郵便局 当MMのホーム・ページは http://members.tripod.co.jp/davidyt/hebdofrance.index.html 次ぎの2サイトをミラーとします。 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/9981/ http://davidyt.infoseek.livedoor.com/hebdofrance.index.html ここからMM発行所にリンクし、解除手続きができます。解除は各人が購読を 申し込んだ発行所、まぐまぐ、Pubzine等から行ってください。eGroupを除い ては僕が管理人ではないため、解除手続きが出来ません。悪しからずご了承 お願いいたします。 過去ログ(archive)も上記ホーム・ページで全てご覧になることができます。 =================================== |