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---| 非公式情報 |------------------------------------------------- <http://www.mailux.com/mm_dsp.php?mm_id=MM3D384F43742FA> コリン・パウエルの正体 By STRANGELOVE イラク問題でアメリカ政府は強硬な姿勢を見せている。そうした中にあって、コリン・パウエル国務長官は和平を模索する「ハト派」だと日本のマスメディアは表現している。が、この扱いには疑問がある。彼は「ハト」でも「タカ」でもなく、「日和見主義者」だとする声もあるのだ。 パウエルが出世街道を歩き始めたのはベトナム戦争の最中、1960年代後半のこと。1968年7月、まだ少佐だった彼はベトナム入りし、チャールズ・ゲッティ少将の下に配属されている。 この当時、アメリカ軍のベトナム市民に対する暴力行為が目立つようになり、少なからぬ米軍将兵がこうした事実を告発している。こうした告発をパウエルは握りつぶし、「上官が聞きたいような話」だけを報告、気に入られたのだ。 アメリカ軍による暴力行為が増えた背景には、1967に始まった「ICEX」という秘密作戦が存在していた。後に「フェニックス・プログラム」と呼ばれる作戦で、解放戦線側のメンバーや支援者、あるいはそう疑われたベトナム人を次々と拘束、裁判なしに殺害していったのである。この作戦の立案者はCIAのロバート・コマー、実行責任者はOSS出身のエバン・パーカー。CIAに協力していたのがMACV(南ベトナム援助軍司令部)である。MACVからは将校や下士官が126名が作戦に参加しているが、命令は全てCIAが出していた。 作戦の性格上、アメリカ側のメンバーは海軍のSEALなど、特殊部隊の隊員。実働部隊としてPRUという傭兵部隊が組織されたが、そのメンバーは殺人や強姦、窃盗、暴行などで投獄されていた囚人たちが中心だった。 ちなみに、国防総省から嫌われてパウエルに拾われたリチャード・アーミテージ国務副長官も1967年に海軍将校としてベトナム入りし、秘密工作に参加している。 米軍の中には、こうした秘密作戦を知らない軍人も少なくなかった。海兵隊のCID(犯罪捜査局)の調査官として1968年にベトナムへやって来たウィリアム・テイラーもそうした軍人のひとりだった。かれはフェニックス・プログラムのメンバーを爆弾テロの現行犯で逮捕してしまい、逆に命を狙われることになったのだ。 ところで、1998年6月、CNNは「テイルウインド作戦」と名づけられた秘密工作について報道した。放送直後から「誤報批判キャンペーン」が展開されたが、ヘンリー・キッシンジャーやパウエルもCNNに対して強力な圧力を加えたと伝えられている。 テイルウインド作戦を実行したとされたSOGは1964年に編成されたCIAと米軍特殊部隊のジョイント組織。1964年7月31日にSOGのメンバーに率いられた南ベトナム兵が北ベトナムのレーダー施設を攻撃、この報復として北ベトナムはアメリカの情報収集船を攻撃した。これをアメリカ政府は「北ベトナムによる先制攻撃」と宣伝したのである。 さて、1980年代にパウエルはイラン・コントラ事件に連座している。この事件の中心にはベトナム戦争で秘密工作に参加したメンバーが座っていた。 ---| OPC:米国の極秘テロ組織 |------------------------------- <http://great.mailux.com/mm_search.php?sh_mm_id=MM3D8ADF9051062> 特別レポート「OPC:米国の極秘テロ組織」(600円)の販売が開始されました。 【内容】 第2次世界大戦後、アメリカには要人暗殺やクーデターを一手に引き受ける極秘チームが存在した。OPCである。1950年10月にCIAの中に潜り込むが、その後も破壊活動、秘密工作をOPC人脈は続けた。英国のある学者に言わせると、CIAはこうした人脈が隠れ蓑に使ってきたにすぎない。この特別レポートを読まずにアメリカの戦後史を語ることはできない。 |