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タイトル:非公式情報46号  2003/02/07


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出来が悪かったパウエルの「国連ショー」
By STRANGELOVE

 2月5日、アメリカのコリン・パウエル国務長官が国連でイラクの大量破壊兵器開発に関する「機密情報」と称する衛星写真や盗聴記録を開示した。貧弱な内容で、拍子抜けしている人も少なくないだろう。
 さて、昨年2月、ジョージ・W・ブッシュ政権が国防省内に偽情報作戦を遂行するために「戦略的影響局」を設置しようとしていると報じられた。これは軍内部の反発で実現しなかったようだが、過去にアメリカ政府は何度も嘘をついている。

 例えば、ベトナム戦争にアメリカを引きずり込んだ「トンキン湾事件」の場合。
 1964年8月2日にアメリカは北ベトナムから先制攻撃を受けたと発表、2日後にアメリカの戦闘機が北ベトナムの海軍基地を爆撃したのだが、「先制攻撃された」という発表は嘘だった。
 ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された翌月、新大統領のリンドン・ジョンソンは作戦計画書、OPLAN 34Aを承認し、CIAと軍のジョイント組織であるSOGが誕生、このグループは1964年2月から北ベトナムに対する攻撃を開始する。
 同年7月31日にはアメリカの特殊作戦部隊員に率いられた南ベトナム20名を率いて北ベトナムのレーダー施設破壊を試みたが、失敗。北ベトナムは報復としてアメリカの情報収集戦、マドックスを攻撃、アメリカ政府はこれを北ベトナムの「先制攻撃」と宣伝したのだ。

 例えば、大韓航空007便(KE007)の場合。
 1983年8月31日から9月1日にかけてKE007はソ連領空を侵犯、重要軍事基地の上空を飛行した後、サハリンで撃墜されたのだ。
 この事件を利用してアメリカ政府は大々的な反ソ連キャンペーンを開始、9月6日に国連大使だったジーン・カークパトリックが「音声テープ」を公開した。
 50分程度の録音を8分32秒に縮めたもので、当然の事ながらアメリカ政府に都合良く「編集」されていた。ソ連の迎撃機が侵犯機を着陸させようと試み、警告のために機銃を威嚇発砲した事実も伏せら、「誤訳」もあった。言うまでもなく、KE007のそばを電子情報収集を任務とするアメリカの戦略偵察機が飛行していたことも明らかにされなかった。
 しかし、その後の展開はレーガン政権の思惑通りに事は運ばなかった。なぜ旅客機は航路を大幅に逸脱したのか、1973年にイスラエルがリビアの旅客機を撃墜したときとアメリカの対応がなぜ違うのか、等々の声が返ってきたのだ。
 そもそも、KE007は本来の飛行コースを大幅に逸脱し、アメリカ軍が定める「バッファーー・ゾーン」と「飛行禁止空域」を横断してソ連領空に侵入したのである。
 NORAD(北米防空司令部)の規定によると、バッファー・ゾーンに向かっている航空機を発見した場合、軍用機なら目的、認可などの確認を行い、応答がなければ戦闘機をスクランブル発進させ、また民間機ならば航空機と交信、連邦航空機かフライト・サービス・ステーションに連絡しなければならないのだ。
 ソ連の迎撃機を振り切ろうとするかのような速度の変化など、不自然なKE007の飛行については、陸幕第2部別室に所属していたこともある元情報将校の田中賀朗氏、あるいはアメリカの研究家、ロバート・アラダイス氏が詳細に指摘している。
 ICAO(国際民間航空機関)の報告書によると、ソ連の迎撃機スホイ15が「目標は破壊された」と報告した後もKE007は右旋回しながらゆっくりと下降、ソ連の司令部は改めてミグ23に攻撃命令を出している。ちなみに、ソ連のレーダー記録によると、「目標」はその時、左旋回している。

 例えば、ユーゴスラビア空爆の場合。
 エルサルバドル駐在のアメリカ大使という経歴を持つウィリアム・ウォーカーは1999年1月、コソボにあるユーゴスラビア警察署で45名が虐殺されたと宣伝、NATOのユーゴスラビア空爆の切掛けを作ったのだが、これも作り話。死者が出たのは警察側とKLA(コソボ解放軍)との戦闘の結果だったのだ。

 普通の感覚なら認められないようなことをしたい時、アメリカ政府は何度も嘘をついてきた。コリン・パウエル自身、相当、胡散臭い人物で、アメリカでは「日和見主義者」とも呼ばれているが、長くなりすぎたので、今回はここまでとする。

---| OPC:米国の極秘テロ組織 |-------------------------------
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【内容】
第2次世界大戦後、アメリカには要人暗殺やクーデターを一手に引き受ける極秘チームが存在した。OPCである。1950年10月にCIAの中に潜り込むが、その後も破壊活動、秘密工作をOPC人脈は続けた。英国のある学者に言わせると、CIAはこうした人脈が隠れ蓑に使ってきたにすぎない。この特別レポートを読まずにアメリカの戦後史を語ることはできない。

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