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タイトル:非公式情報33号  2002/11/19


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「911」容疑者とCIAを結ぶリング
BY STRANGELOVE

 オサマ・ビン・ラディンの肉声とされる音声が放送され、アメリカ政府も本人のものだと発表した。同政府の主張しているシナリオによると、オサマ・ビン・ラディンを中心にして練られた計画に基づき、モハメド・アッタ(アメリカン航空011便搭乗)を中心としたグループが昨年9月11日の「同時多発テロ」を実行したことになっている。が、このシナリオには未解明の点が少なくない。アッタとは何者なのかという基本的なこともわかっていないのだ。つまり、ビン・ラディン黒幕説も決定的なものではないということだ。

【2001年春】
 大きな十字架のネックレスをしていたというアッタが仲間とフロリダ州ベニスでパイロットの訓練を受けて始めたのは2001年7月のことだとされている。が、この年の3月から4月上旬にかけてアッタはベニス空港近くのアパートでアマンダ・ケラーという20歳の女性と同居していたとする複数の証言がある。ケラーの話では、友人を介して彼女はアッタと知り合い、彼女のボーイフレンドと3人で同居することになったのだという。
 テロ後にFBIはケラーに接触して証言を変えさせようと試みたが失敗、「リベラル紙」として有名なニューヨーク・タイムズの記者は彼女の証言は作り話だと言って信用しようとしなかったが、アッタが3月から4月にかけてケラーと同居していたことは隣人など多くの住人が確認しているのだ。

【2000年秋】
 その前からアッタたちはフロリダ州ベニスにいたとする証言もある。
 ハフマン航空とともに、事件の直前までアッタたちが訓練を受けていたジョーンズ航空訓練センターの教官がAPの記者に語ったところによると、アッタとマルワン・ユセフ・アルシェーヒ(ユナイテッド175便搭乗)は2000年の9月か10月に学校を訪れ、ハフマン航空から転校したいと申し込んでいる。
 この証言が正しいならば、アッタたちはテロ事件の前年、遅くとも秋からハフマン航空で飛行訓練を受けていたことになるが、同学校のオーナー、ルディー・デッカーズはアッタたちが学校に来たのはあくまでも2001年7月の後半だと主張している。アメリカの当局、そして大手マスメディアはオーナーの証言を採用しているようだ。
 ハフマン航空とジョーンズ航空訓練センターはともに、1998年にオーナーが交代している。ハフマン航空はデッカーズが、またジョーンズ航空訓練センターはアーネ・クルイトフという人物が新オーナーとなったのだ。両者ともオランダ国籍の持ち主である。
 両パイロット訓練学校のすぐ近くにあるベニス空港は冷戦中、アメリカ情報機関が秘密工作に使っていたことでも知られている。当時、この地区はソ連が核攻撃のターゲットのひとつにしていたと言われるほどなのだ。ベトナム戦争中には、CIAの航空会社、エアー・アメリカのパイロットもここで訓練を受けていた。

【ヘロイン密輸】
 2000年7月、アッタたちがベニスで目撃される2、3カ月前、オルランド空港で13キログラムのヘロインが押収され、エドガル・バイェスとネイラ・リバスが逮捕された。ふたりはベネズエラの人間で、ヘロインもベネズエラで積み込んでいた。パイロットは証拠不十分で逮捕されなかった。
 この麻薬を積んでいた飛行機の所有者、ワーレス・ヒッラードはフロリダ州ナポリ在住の富豪で、1999年からハフマン航空の影のオーナーになっている。しかもこの頃、ヒッラードの飛行機はフロリダ州知事、ジェブ・ブッシュに対して1時間1800ドルでリースされていた。
 ジェブはジョージ・W・ブッシュ現大統領の弟で、1980年代には父親のジョージ・H・W・ブッシュ副大統領(当時)の下でコントラ工作にも関係していた人物である。ヘロイン密輸が摘発された後もジェブはヒッラードとの交友関係を解消することはなかった。

【1990年代】
 1990年代にアッタたちはアメリカにいたとも報道されている。この当時、アッタたちがアメリカ軍の基地で訓練を受けていたというのである。アッタはマックスウェル空軍基地、アブドゥラ・アロマリ(同)はブルック空軍基地、サイード・アルガムディ(ユナイテッド航空093便搭乗)は国防語学学校にいたというのだ。別の報道によると、3名の「テロリスト」は将校の交換プログラムでアメリカに来ていたという。
 この話はいつの間にかマスメディアの世界から消えていったが、否定されたわけでも誤報だと判明したわけでもない。そう、アッタと同居していた女性、ケラーも消えてしまった。

【蛇足】
 何らかの破壊工作を実行する際、情報機関はライバルからの反撃を封じるために何らかの仕掛けをすることが常識だ、ということを最後につけ加えておこう。

---| OPC:米国の極秘テロ組織 |-------------------------------
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【内容】
第2次世界大戦後、アメリカには要人暗殺やクーデターを一手に引き受ける極秘チームが存在した。OPCである。1950年10月にCIAの中に潜り込むが、その後も破壊活動、秘密工作をOPC人脈は続けた。英国のある学者に言わせると、CIAはこうした人脈が隠れ蓑に使ってきたにすぎない。この特別レポートを読まずにアメリカの戦後史を語ることはできない。

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