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8.事実には、「右」も「左」も無い 又、今述べた通り、歴史論争が、余り にも「左右対決」と言う図式に成って 居る事も、日本の歴史論争の特徴だと 思います。 これは、個々の論客達の問題であるよ りは、そうした論客達の見解を発表す る新聞、雑誌、出版社、テレビ局など が、冷戦時代に出来あがった「左右対 決」と言う構造から未だに脱却してい ない事に原因が有ると思われますが、 とにかく、論争と言う論争が、ことご とく「左右対決」と言う図式にはめ込 まれているのは、おかしいと、私は、 思います。 そもそも、事実には、「右」も「左」 も有りません。そして、事実は、思想 ではありません。 「右」であれ、「左」であれ、事実に ついて何か意見を言うと、「これは右」 とか「これは左」とか言うレッテルを 貼られてしまうのは、本当におかしな 事です。 (続く) 2002年11月14日(木) 西岡昌紀 「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」 (日新報道・1997年)著者 |